これまで幾度となく身内や知人の骨を拾ってきたが、
愛する者を亡くし、まだその実感がないままに通夜、
葬儀、火葬という流れに翻弄されたままの遺族が、
故人との今生最後の別れを意識するのが、火葬前の
一瞬であろう。
炉の扉が閉まる時、もう本当にこの世では二度と
会えないことを思い知らされる。
後にも、この閉まる扉の衝撃的な記憶が、故人は
戻らないということを否が応にも実感させる。
火葬が終わり、舎利となった故人の姿を見る時は、
誰もみな、随分落ち着いている。
ある意味、それはもう人ではなく、物という
感覚になっている。
足元から頭部にかけて少しずつ骨を拾い、全身が
骨壺に入るように拾い、納める。
ふと、身近に故人の骨を置くとすれば、どこの
骨だろうかと考えた。
脚か、腕か、胸か、頭部か。
人が生きていく中で、最も意識して動かして
いるのは、手かもしれない。
奇しくも、家内が持ち帰った義父の骨は
手の部分だった。
直立して、自由になった手を携えて、支え合い、
励まし合って人は生きる。
故人となっても、笑顔と手のぬくもりの記憶が、
遺されたものを支える。
差し伸べるのも手であり、振り払うのも手である。
表情と手が、その人の生き様を如実に
顕すのであろう。
そしてその生き様が、他の人の生き方を
支えるのかもしれない。
愛する者を亡くし、まだその実感がないままに通夜、
葬儀、火葬という流れに翻弄されたままの遺族が、
故人との今生最後の別れを意識するのが、火葬前の
一瞬であろう。
炉の扉が閉まる時、もう本当にこの世では二度と
会えないことを思い知らされる。
後にも、この閉まる扉の衝撃的な記憶が、故人は
戻らないということを否が応にも実感させる。
火葬が終わり、舎利となった故人の姿を見る時は、
誰もみな、随分落ち着いている。
ある意味、それはもう人ではなく、物という
感覚になっている。
足元から頭部にかけて少しずつ骨を拾い、全身が
骨壺に入るように拾い、納める。
ふと、身近に故人の骨を置くとすれば、どこの
骨だろうかと考えた。
脚か、腕か、胸か、頭部か。
人が生きていく中で、最も意識して動かして
いるのは、手かもしれない。
奇しくも、家内が持ち帰った義父の骨は
手の部分だった。
直立して、自由になった手を携えて、支え合い、
励まし合って人は生きる。
故人となっても、笑顔と手のぬくもりの記憶が、
遺されたものを支える。
差し伸べるのも手であり、振り払うのも手である。
表情と手が、その人の生き様を如実に
顕すのであろう。
そしてその生き様が、他の人の生き方を
支えるのかもしれない。
人を支え、支え合うことで人から人間になったのですね。
言い得て妙ですね。 ^^
その通りだと思います。
小娘の私は覚えていません。
が、亡くなった猫の骨は時々覗く不届者です。
かわいい、ピンク色をしたまだ若々しい骨…
ありません。
ピンク色の骨を。
小さくて、かわいくて、…