中学時代、近くに出来た、家電量販店に友達とよく遊びに行った。
オーディオデッキや、スピーカーなど、汎用からマニアックな
ものまで取り揃っていたので、飽きる事はなかったが、なにせ
値段が宇宙的な数字で、とても自分の貯金などで買える様な
物ではなかった。見るだけで満足だったのである。
ところで、そこに手動のタイプライターが展示されていた。
英語の教科書にあるようなきれいな英字が、簡単に打てると
あって、たちまち夢中になった。
休みの日には必ずといっていいほどその販売店に立ち寄り、
「試し打ち」をして、店員に煙たがられていたものだ。
値段も決して、はなから手に届かないというものではない。
だが、苦しい家計を知っている私は、両親にねだる事は
出来ないと頭からあきらめていた。
しかも、高校受験が目の前の時期であった。
もともと、妹や、弟達のように、買って貰えるまで拗ね倒すと
いうことが出来ない立場であった。
「いつか買ってな、また今度買ってな」が、私の口癖だった。
でも、このタイプライターだけは、なんとしても欲しかった。
公立高校合格を条件に、母親に頼んで見ると、意外にも、
「合格したらね」との返事をもらったので、俄然、受験勉強を
頑張った。
たまに、販売店に見に行っては、自分で自分を鼓舞していた。
「待ってろよ、絶対手に入れてやる。。。」と。
父親は単身赴任。実質、働きに出ている母親が家計を守っている
状態だったので、とんでもない贅沢品であることも、百も承知して
いたのだが、それでも欲しかった。
普段、必要最低限のもの以外を、「おねだり」するという事が
なかった私の珍しいおねだりに、母親も何とかしてやろうと
思ったのかもしれない。
無事に合格し、いよいよ買ってもらえる段になって、母親が、
新聞に載っている、広告を私に見せた。
そこには、タイプライターが載っていて、販売店のものよりも
かなり割安であった。
どちらかというと、ビジネス用で、色も地味で、販売店にあるもの
のようにおしゃれなデザインや色では無かったが、せっかく買う
気になってくれている母親の気持ちを、萎えさせるような事は
この際、一切したくなかったので、その品を買ってもらう
ことにした。
初めて手にした、自分だけのタイプライター。英字を打つという
イメージからは少し離れた、インクリボンの匂いや、ミシン油の
ようなグリースの匂い。パチリ、パチリと打っていくと、まるで
英字新聞のようにきれいなタイプが紙に現われる。
本当に嬉しかった。それからというもの、様々な事に使っていたが、
最も本領を発揮したのは、映画スターへのファンレターである。
映画雑誌を買って、ファンレターの送り先を調べ、好きなスター
へのファンレターをタイプで打って、送るのだ。
外国へエアメールを送ったのも、この頃が初めてであった。
そして、一月ほど経つと、そのスターの秘書から、お礼のカードと、
スターのサイン入り写真が送られてくる。
映画スターから返事をもらったその喜びは、なんとも形容しがたく、
身のうちから、震えが外へ向けて大きくなって現れてくるような
気がした。
その後、自分だけでなく、友達のためにファンレターを打ったり、
時には仲の良い従弟のために内緒でファンレターを送っておき、
返事が直接届くようにしておいて、大感激された事もあった。
この、タイプライターが私の初めての海外との交信、交流の為の
ツールとなったのだ。
大学に行くころになると、電子タイプやワープロが台頭してきて、
どんどん進化していったが、就職したときには、まだ手動の
タイプが主流で、職場は、誰もがタイプを打つ、バチバチバチッ
という、異様な騒音に包まれていた。
そして電子タイプが一般化し、ダダダダダダという音に変わり、
今ではPCが普及して、カシャカシャカシャという音に変わって
来ている。
母が亡くなり、実家においてあったこのタイプを持ち帰ったのだが、
もうかれこれ、買ってもらってから30年近くになる。
今なお、十分使えるし、独特の匂いも変らない。
母親に買って貰ったもので、唯一残っているのがこのタイプである。
久し振りに打って見ると、懐かしい匂いと共に、当時のことが
鮮やかに蘇った。
オーディオデッキや、スピーカーなど、汎用からマニアックな
ものまで取り揃っていたので、飽きる事はなかったが、なにせ
値段が宇宙的な数字で、とても自分の貯金などで買える様な
物ではなかった。見るだけで満足だったのである。
ところで、そこに手動のタイプライターが展示されていた。
英語の教科書にあるようなきれいな英字が、簡単に打てると
あって、たちまち夢中になった。
休みの日には必ずといっていいほどその販売店に立ち寄り、
「試し打ち」をして、店員に煙たがられていたものだ。
値段も決して、はなから手に届かないというものではない。
だが、苦しい家計を知っている私は、両親にねだる事は
出来ないと頭からあきらめていた。
しかも、高校受験が目の前の時期であった。
もともと、妹や、弟達のように、買って貰えるまで拗ね倒すと
いうことが出来ない立場であった。
「いつか買ってな、また今度買ってな」が、私の口癖だった。
でも、このタイプライターだけは、なんとしても欲しかった。
公立高校合格を条件に、母親に頼んで見ると、意外にも、
「合格したらね」との返事をもらったので、俄然、受験勉強を
頑張った。
たまに、販売店に見に行っては、自分で自分を鼓舞していた。
「待ってろよ、絶対手に入れてやる。。。」と。
父親は単身赴任。実質、働きに出ている母親が家計を守っている
状態だったので、とんでもない贅沢品であることも、百も承知して
いたのだが、それでも欲しかった。
普段、必要最低限のもの以外を、「おねだり」するという事が
なかった私の珍しいおねだりに、母親も何とかしてやろうと
思ったのかもしれない。
無事に合格し、いよいよ買ってもらえる段になって、母親が、
新聞に載っている、広告を私に見せた。
そこには、タイプライターが載っていて、販売店のものよりも
かなり割安であった。
どちらかというと、ビジネス用で、色も地味で、販売店にあるもの
のようにおしゃれなデザインや色では無かったが、せっかく買う
気になってくれている母親の気持ちを、萎えさせるような事は
この際、一切したくなかったので、その品を買ってもらう
ことにした。
初めて手にした、自分だけのタイプライター。英字を打つという
イメージからは少し離れた、インクリボンの匂いや、ミシン油の
ようなグリースの匂い。パチリ、パチリと打っていくと、まるで
英字新聞のようにきれいなタイプが紙に現われる。
本当に嬉しかった。それからというもの、様々な事に使っていたが、
最も本領を発揮したのは、映画スターへのファンレターである。
映画雑誌を買って、ファンレターの送り先を調べ、好きなスター
へのファンレターをタイプで打って、送るのだ。
外国へエアメールを送ったのも、この頃が初めてであった。
そして、一月ほど経つと、そのスターの秘書から、お礼のカードと、
スターのサイン入り写真が送られてくる。
映画スターから返事をもらったその喜びは、なんとも形容しがたく、
身のうちから、震えが外へ向けて大きくなって現れてくるような
気がした。
その後、自分だけでなく、友達のためにファンレターを打ったり、
時には仲の良い従弟のために内緒でファンレターを送っておき、
返事が直接届くようにしておいて、大感激された事もあった。
この、タイプライターが私の初めての海外との交信、交流の為の
ツールとなったのだ。
大学に行くころになると、電子タイプやワープロが台頭してきて、
どんどん進化していったが、就職したときには、まだ手動の
タイプが主流で、職場は、誰もがタイプを打つ、バチバチバチッ
という、異様な騒音に包まれていた。
そして電子タイプが一般化し、ダダダダダダという音に変わり、
今ではPCが普及して、カシャカシャカシャという音に変わって
来ている。
母が亡くなり、実家においてあったこのタイプを持ち帰ったのだが、
もうかれこれ、買ってもらってから30年近くになる。
今なお、十分使えるし、独特の匂いも変らない。
母親に買って貰ったもので、唯一残っているのがこのタイプである。
久し振りに打って見ると、懐かしい匂いと共に、当時のことが
鮮やかに蘇った。
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