日本で医師や教育者、政治家などに敬称として
使われる「先生」は、中国では○○さんと同じで、
特に敬称ではない。
自身よりも年配の方に○○先生と呼ばれると
恐縮するのだが、日本での意味とは異なる。
まあ、あえて敬称とするなら、「老師」
となるだろうが、これもイメージとしては、
仙人のような風貌が頭に浮かぶ。
先生のいわれには様々な説や意味があるが、
お酒を飲んで酔っても、先に醒めるという
説がある。
これはいわゆる、真理の発見などのような覚醒を
意味しているのだろうが、飲むことを前提に
しているので、節酒となるだろう。
つまり、節酒は先生、断酒は老師となる。
因みに、老師とは、先生の先生でもある。
であれば、節酒の限界に覚醒し、断酒を実行する
ものは、老師という事になる。
一気に年寄りになった気分だが、自称、
○○老師という事でいこう。
日本人的な感覚で言えば、○○先生と呼ばれる
面映ゆさよりも、○○老師という自戒的な
響きの方が良いかもしれない。
元の意味からかけ離れた、ゆがんだイメージが
定着してしまったのが、「尊師」である。
いずれにせよ、「師」という字がつくなら、
その人に「私」があってはならない。
他者の苦悩に寄り添い、それを自身の苦悩とする
生き方に、「師」という字がふさわしいのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/3f/da710eeff93b6c0ed2880bc5aec1d89b.jpg)
使われる「先生」は、中国では○○さんと同じで、
特に敬称ではない。
自身よりも年配の方に○○先生と呼ばれると
恐縮するのだが、日本での意味とは異なる。
まあ、あえて敬称とするなら、「老師」
となるだろうが、これもイメージとしては、
仙人のような風貌が頭に浮かぶ。
先生のいわれには様々な説や意味があるが、
お酒を飲んで酔っても、先に醒めるという
説がある。
これはいわゆる、真理の発見などのような覚醒を
意味しているのだろうが、飲むことを前提に
しているので、節酒となるだろう。
つまり、節酒は先生、断酒は老師となる。
因みに、老師とは、先生の先生でもある。
であれば、節酒の限界に覚醒し、断酒を実行する
ものは、老師という事になる。
一気に年寄りになった気分だが、自称、
○○老師という事でいこう。
日本人的な感覚で言えば、○○先生と呼ばれる
面映ゆさよりも、○○老師という自戒的な
響きの方が良いかもしれない。
元の意味からかけ離れた、ゆがんだイメージが
定着してしまったのが、「尊師」である。
いずれにせよ、「師」という字がつくなら、
その人に「私」があってはならない。
他者の苦悩に寄り添い、それを自身の苦悩とする
生き方に、「師」という字がふさわしいのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/3f/da710eeff93b6c0ed2880bc5aec1d89b.jpg)
思います。^^;
去私はまだしも、なかなか則天とは
いかないようです。 ^^;