上のMRI像を見てもらいたい。
極端な例ではあるが、アルコール依存症による、脳萎縮の
症例である。
黒い空洞部の大きさに、戦慄を覚える。
(実際は空洞ではなく水が溜まっている。)
ここまで萎縮が進めば、日常生活にも大きな支障が出るで
あろうし、それにもまして、まともな思考はできない。
更に、理性を司る前頭葉の萎縮は、その人を本能的な支配下に
おく事となり、社会的にも非常に危険な存在としてしまう。
最近では、萎縮脳の回復も多少は確認されているようであるが、
ここまでに至れば、その回復も何ら状況の改善には繋がらない。
身体の自由が利かないのも、本人にとっては情けなく、歯がゆい
事でもあろうが、その情けなさも歯がゆさも何もない、
脳自体の障害と言うのは、私には耐えられない。
無論、耐えられないと言ったところで、そうなってしまえば、
その感覚さえ無いのである。
そうなればなったで、悩みも無く幸せなのかもしれないが、
それはただ生きているだけであり、自分らしさも、自分の人生も
無くなってしまう。
今、生きている中で、自分の事に関してのみ言えば、命を失う事が
最も怖ろしい事であるはずだがそれ以上に、生きながら自分を
失ってしまう事が怖ろしい。そしてそれは、生きながら家族も、
世界も全てを失う事となる。
そして、本人はというと、失ってしまっている事自体を
認識できない。
かろうじてこの最悪の事態は避ける事が出来た今、自身にとって
最も怖ろしいのは、子供達という未来を、希望を失う事である。
これだけは何があっても守りきって行かねばならない。
そして、その先の継承を見届けた上で旅立てたなら、これほどの
幸せは無いであろうと思われる。
自身の命のみを留め置いて、自身も世界も失う事が無いよう、
しっかりと心に焼き付けておくべき像であると思っている。
しかし何度見ても、怖気がする画像である。
「自分が自分でなくなってしまった」方。
思考回路も無くなり、
自分の部屋が判らない、
数分前に食べた食事を覚えていない。
「飲み続けるとああなってしまうのか」
言葉を選ばなければ、反面教師なのかも。
また飲んでしまったら「彼は明日の自分」と、
今一度確認させていただきました。
ありがとうございました。
でもね、大した父親でも無いけれど、そんな姿を
子供達に見せることだけは死んでも嫌ですね。
それは自分のことだけでは済まされない事ですから。。。