世の為、人の為にということを、憚りも無く公言する
人というのは、あまり信用できない。
本当に世の為、人の為に身を挺して生きている人というのは、
決して華やかな立場や表舞台には現われないものだ。
縁の下の力持ちという言葉があるが、まさしく、縁の下で誰に
認められずとも、ひたすらに支え続けている人こそが、本当に
大切であり、尊貴な存在なのである。
身を飾る派手な衣装と、舞台設定などは、外面の装飾であって、
その人の内面の輝きではない。
むしろ、内面の醜さを覆い隠し、尊貴さを演出したいが為に、
そういった人目を引く華麗さや、荘厳さを必要とするのである。
どうやら、心の位が高くなればなるほど、見た目は質素になって
いくようであり、見た目を派手にすればするほど、心の位の低さが
表れるようである。
その人の内面から滲み出る尊貴さは、飾らなくとも人に伝わる
ものであり、飾れば飾るほど、その内面は卑屈さを増す事になる。
家庭を守り、子を育み、主を支える女性は、派手さも無く、
目立たないけれども、心の太陽として、なくてはならない輝ける
存在であるはずだ。
薄化粧と、まとめた髪と、滲み出る気品と微笑み。
内に秘めた無尽蔵の愛情を注ぎ続ける、そんな、本当に強い芯を
持った美しい女性が少なくなったような気がする。
お墓参りに行き、可憐な桜の花を見ながら、そんなことを
考えていたら、浮かんできたのは、またまた古い歌の一節。
「ボロは着てても心の錦 どんな花より綺麗だぜ」
母親はもういないが、カミサンと同じように、娘にも継承して
もらいたいと願うことなのである。
人というのは、あまり信用できない。
本当に世の為、人の為に身を挺して生きている人というのは、
決して華やかな立場や表舞台には現われないものだ。
縁の下の力持ちという言葉があるが、まさしく、縁の下で誰に
認められずとも、ひたすらに支え続けている人こそが、本当に
大切であり、尊貴な存在なのである。
身を飾る派手な衣装と、舞台設定などは、外面の装飾であって、
その人の内面の輝きではない。
むしろ、内面の醜さを覆い隠し、尊貴さを演出したいが為に、
そういった人目を引く華麗さや、荘厳さを必要とするのである。
どうやら、心の位が高くなればなるほど、見た目は質素になって
いくようであり、見た目を派手にすればするほど、心の位の低さが
表れるようである。
その人の内面から滲み出る尊貴さは、飾らなくとも人に伝わる
ものであり、飾れば飾るほど、その内面は卑屈さを増す事になる。
家庭を守り、子を育み、主を支える女性は、派手さも無く、
目立たないけれども、心の太陽として、なくてはならない輝ける
存在であるはずだ。
薄化粧と、まとめた髪と、滲み出る気品と微笑み。
内に秘めた無尽蔵の愛情を注ぎ続ける、そんな、本当に強い芯を
持った美しい女性が少なくなったような気がする。
お墓参りに行き、可憐な桜の花を見ながら、そんなことを
考えていたら、浮かんできたのは、またまた古い歌の一節。
「ボロは着てても心の錦 どんな花より綺麗だぜ」
母親はもういないが、カミサンと同じように、娘にも継承して
もらいたいと願うことなのである。
育った背景があります。
私も母親が若くして亡くなった事が大きな
分岐点だったようにも思えます。
それでも、ギリギリの所で母親に救って
もらったとも感じています。
でも、子供は分身、血のつながり。愛情はかけまくっています(笑)。
様々な悩み、苦しみ、悲しみもある事でしょう。
でも子供達の心の中では、母親というものがいつも暖かく
輝く存在であって欲しいと思います。
その存在が、自身を支えてくれる事も多いのです。
ある患者さまから、お家で子供たちには、心の太陽でいなさいって言われたことがあったのを思い出しました。