ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

心の傷

2018年06月20日 | ノンジャンル
いわゆる外傷というのは、治りが早い。
具体的に痛いし、意識に関係なく身体が本能的に
治そうと全力を挙げるからである。

しかしながら、心の傷というのは、記憶に絡んで
くるので、完治という事はあり得ないのではないか。

特に深い傷であれば、何年経っても、何がしかの
きっかけで、傷を負った時と同じような生々しさで、
パックリとその傷が開くこともあるだろう。

今回の地震で、阪神・淡路大震災の記憶が蘇った。
大きな地震で、幸い揺れが短く、被害も
少なかったが、発生が朝だったことで、
揺れだした途端、あの日の記憶が鮮烈に蘇った。

被害規模も小さく、実害はほとんどない。
交通網は一時的にマヒしたが、車で通勤し、
何の支障も実質無かった。

にも拘らず、妙に胸がざわざわして落ち着かない。
こればかりは理屈ではなく、何とも言えない
胸騒ぎがずっと続いていて、感覚が研ぎ澄まされ、
かすかな物音にさえ目が覚める。

あれから、23年以上経つというのに、
自身のその状況に、自分で驚く思いである。

古傷が痛むというのとはまた違う。
鮮明すぎて、息苦しさを覚えることもある。

前を向いて生きていくためには、忘却とまでは
いかずとも、過去の記憶のセピア化は必要である。

だが、それは決して消えないという事を
思い知らされた。

断酒も同じで、再び飲むという具体的なきっかけが、
飲酒時代の記憶(意識下、無意識下を問わず)を
蘇らせることになるのだろう。

過去を消すことができないなら、記憶を
消すこともできない。 つまり、心の傷を消し去る
ことはできない。

ならば、それに囚われず、へこたれず、今を懸命に
生きていくのみであろう。

胸のざわざわに落ち着かないながら、目の前の
為すべきことに懸命に取り組む。

それが一日断酒、つまり、一日を生きるという
事なのだろう。