ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

フラッシュバック

2018年06月03日 | ノンジャンル
再生、新生の原点の日に、クリニックへ行った。
通院は不定期で、数ヶ月も間が空くことが多く、
金曜の午後は休診となっていた。

それでも、自ら足を運んだその場所に行くことに
自身の原点確認の意義がある。

そういえば、初めて受診した時も、午後は
休診だった。

ピークは越えたとはいえ、まだ幻視、幻聴が
ひどい中、朝から営業会議。
その後、キーボードもまともに叩けなくなり、
クリニックへ電話。

緊急を要する状況と判断されたのか、午後に診察が
決まった。

○○さんのために居残りさせられたとは、後日の
看護師さんの言葉。

同じ時期に、同じ場所へ行くと、これまで多少の
フラッシュバックを感じていた。
身体も心もズンと重くなり、息苦しささえ感じた。

だが、紙一重で生を拾い、今現在、生きている
からこそそれを感じることができる。

つまりは、その瀬戸際を乗り越えて生き永らえた、
それ故のフラッシュバックである。
乗り越えた事実がある以上、それは年々、
薄らいでいった。

今回感じたのは、生きているという事だ。
先生亡き後故に、その実感も、ひとしおなの
かも知れない。

様々な心の傷を持っている人は、予期せぬきっかけで
最も大きな苦しみの記憶を再現させ、その傷を
蘇らせてしまうこともあるだろう。

だが心配はいらない。あなたは、確かにそれを
乗り越えて、今を生きている。
そして、それを抱えながら、これからも生き続けて
いく力を既に持っている。

今を生きるあなたは、
傷を負った時のあなたではないのである。