三日坊主日記

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小熊英二『日本という国』(1)

2015年10月30日 | 戦争

小熊英二『日本という国』は、明治維新以降、日本がどういう方向に進もうとしているのか、明治維新、敗戦、そして冷戦の終結が大きな転換となっていることがわかりやすく説明されています。

福沢諭吉『学問のすゝめ』は、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という言葉で有名だが、人間は平等だというけれど実際はそうじゃない、勉強する人は成功して金持ちになり、勉強しないと貧しい下人になる、だから勉強しなさい、と説かれている。

それまでは、武士の息子は武士、商人の息子は商人、農民の息子は農民、女の子は同じ身分の人と結婚するというふうに、親がどういう身分かで、子供の将来も決まっていた。

一般国民を無教育の状態にして、少数の支配者だけが知恵を持ち、国を治める東洋の方法は、平和で国内が安定しているときはよいかもしれない。
しかし、外国からどんどん人や物資が入ってくる時代には通用しない。
一般国民にも教育をほどこし、立身出世の欲望を刺激して、競争に負けないよう働くようになれば、経済は成長し、国も強くなる。

しかし、欲望の拡大に精神の発達が追いつかないので、欲望を刺激するだけなら不平を持つ者が出てくる。

不平不満のはけ口は国の外に求めざるを得ない。
そこで欧米諸国はアジアを植民地にするようになった。

東洋と西洋のやり方のどちらがいいか、福沢諭吉の答えは、日本が西洋になること。

西洋は東洋を植民地化しているから、日本が東洋のままなら西洋の植民地にされる、だったら東洋を侵略する側になろう。

西洋の文明を吸収し、学問をして競争に勝ち抜き、国際的には侵略する側にまわるためには、国民全員に強制的に教育を受けさせないといけない。

しかし、教育がゆきわたって知恵がつけば、貧しい状態に不満を持つ人間が増える。
そこで、政府は国に対する忠誠心を持つよう、修身を義務教育に盛り込み、忠孝を教え込んだ。

日本の近代化は、国民全体に西洋文明の教育をゆきわたらせながら、同時に政府や天皇への忠誠心を養う方向に進んだ。


西洋に追いつき追い越せということが敗戦までの日本のあり方で、敗戦後はアメリカの家来になることを選んだ。

1953年、池田勇人は「日本はアメリカの妾である」と発言している。

アメリカ占領軍の方針は日本の非武装化と民主化だった。

日本を非武装化し、民主化しようとして、戦力の放棄をうたう憲法を提示した。

ところが、アメリカとソ連の対立が激しくなり、1950年前後から対日政策が転換する。

日本を経済的に再建させ、再軍備させてアメリカの手下となって動く日本軍を作り、西側陣営の一員として協力させる方針に転じた。
サンフランシスコ講和条約と同時に日米安全保障条約を結び、アメリカ占領軍は在日米軍と名前を変えただけで、今までどおり米軍基地といっしょに残ることになった。
日本は占領軍がいるまま独立国となったのである。

アメリカは講和条約に、調印した国は日本への賠償請求権を放棄するという、日本に有利な条件を講和条約に盛り込んだ。(賠償請求権を放棄しなかった国もある)

こうして戦後の日本は、アメリカの忠実な同盟国、もっとはっきりいってしまえば〈家来〉になることを選ぶことによって、経済成長に成功したわけだ。



1950年代から60年代はじめにかけて、アメリカは反発の強い日本本土の米軍基地をほぼ4分の1に縮小し、自由になる沖縄に基地を移したので、沖縄の米軍基地は約2倍に増加した。

1968年から1974年にかけて、本土の米軍基地はさらに約3分の1に縮小したが、沖縄が日本の統治下にもどっても、沖縄の米軍基地はほんのわずかしか減らなかった。

いわば日本政府は、沖縄を「人身御供」として差し出すことで、アメリカとの関係をよくしているともいえる。
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