三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

障害児殺しと青い芝の会(2)

2024年06月23日 | 日記
横塚晃一『母よ!殺すな』によると、1970年、母親が横浜で障害のある子供を殺した事件では、障害者本人、家族、福祉関係者からも母親への同情の声があったそうです。

脳性マヒ当事者の会である青い芝の会で、「殺した親の気持ちがよくわかり、母親がかわいそうだ」「施設がないから仕方ない」「あの子は重度だったらしいから生きているよりも死んだほうがよかった」などの意見が出された。
「殺した親に同情しなくてもよいのか。あなた達の言うことは母親を罪に突き落とそうとするものだ」という言葉も障害者の一人から出た。

新聞に掲載されたある女性の投稿。
私の妹は障害がもっとも重く施設にいる。私が週一、二回面会に行き、妹が年に一、二回帰宅するのを何よりの楽しみにしている。もし私が先に死んだら面倒をみる者がいなくなる。私は死ぬにも死ねない。自分は罪に問われてもいい。妹が一分でも先に死んでくれるのを望む。

ある福祉関係者は「数年前西ドイツでおきたサリドマイド児殺しにつき某女子大生にアンケートを求めたところ、ほとんどが殺しても仕方がない、罪ではないというように答えた」と語っていた。
「犬や猫を殺しても罪にならない。だから今度の場合も果たして罪と言えるのかどうか」と言った人もいる。

青い芝の会会員が意見書を神奈川県庁へ持って行き、県会議員などに手渡して意見を述べたが、「あなた方に母親の苦しみがわかるか」「母親をこれ以上ムチ打つべきではない」「施設が足りないのは事実ではないか」などと非難された。

青い芝の会の主張が報道されると、反発も大きかった。
新聞社への投書に「可哀そうなお母さんを罰すべきではない。君達がやっていることはお母さんを罪に突き落とすことだ。母親に同情しなくてもよいのか」などの意見があった。

横塚晃一さんによると、「今回私が会った人の中で、殺された重症児をかわいそうだと言った人は一人もいなかった」とのことです。

思うのが、親が障害児を殺すのはやむを得ないのか、そして施設があれば問題は解決するのかということです。

横浜の事件は特殊な事例ではありません。
1967年、歯科医が重症の息子を殺した事件があった。
施設がないための悲劇といったマスコミキャンペーンとともに、身障児を持つ親の会や全国重症心身障害児を守る会を中心として減刑嘆願運動が展開され、裁判の結果は無罪だった。
重症児をもつ母親が無罪の判決を「ほんとうによかった。他人ごとではない」と言っている。

1972年、76歳の父親が37歳の脳性マヒの息子を殺した。
妻が胃病で入院し、父親が一人で息子の世話をしていた。
あまりに可哀想な老父さんです。警察署の方々にお願い致します。どうかこの老い先みじかい老人のお父さんを無罪にしてあげて下さい。私も老い先みじかい老女です。悪意でやったことではありませんから、どうか、そのへんを寛大にお許ししてあげて下さい。お願い致します。亡くなられた息子さんも父親に涙を流して感謝しておられるでしょう。お願い致します。 一老女。

親への同情論は殺した親の側に立つものであり、障害者の存在は抜け落ちている。
それらは全て殺した者(健全者)の論理であり、障害者を殺しても当然ということがまかり通るならば我々もいつ殺されるかもしれない。我々は殺される側であることを認識しなければならない。

横田弘『障害者殺しの思想』に、障害者とゴジラなど怪獣は共通すると述べられています。
あの映画の中に出てくる怪獣たちの姿、動作から来るイメージは、障害者、特に私たち脳性マヒ者に非常に似通っている。そして、その障害者に似通っている怪獣たちが行うことと言えば、平和な、人びとがおだやかな暮らしを楽しんでいる街を、ある日、突然、何処からともなく沸きだして破壊しつくして人びとの生命まで危うくさせるというパターンが常である。
しかも、そうした人びとの生活全体を危機に追い込んで行った怪獣たちは、必ず最後には、人びとの強い味方であり、正義の使者である○○マンによって亡ぼされ、この地上から消滅させられてしまうのだ。
怪獣が障害者の隠喩なら、桃太郎が退治した鬼は社会に迷惑をかける存在だということになります。

一般社会人が、重症児を自分とは別の生物とみるか、自分の仲間である人間とみるか(その中に自分をみつけるのか)の分かれ目である。

殺された重症児を自分とは別世界の者と考えている。
というのも、子供が殺された場合、その子供に同情が集まるのが常である。
それは殺された子供の中に自分を見る、つまり自分が殺されたら大変だからである。

これを障害者(児)に対する差別と簡単には片付けられない。
これが障害者に対する偏見と差別意識だということはピンとこないのは、この差別意識が現代社会において余りにも常識化しているからである。

親が障害児を殺す事件でのマスコミのとりあげ方の基本は、障害児を抱えた家庭が不幸であり、親だけが同情されるべき存在として表現される。
1978年、横浜市で脳性マヒの長男(12歳)の前途を悲観した母親が息子の首を絞めて殺し、2日後に飛び降り自殺した。

この事件を報道した新聞には、生まれつき体が不自由な重度障害児だとある。
生まれたときから右手足が不自由で、言葉がほとんど話せず、精神年齢は幼児と同程度だったという。用便の世話から食事まで生活ではすべて母親のかよの助けが必要だった。食事どき、肉類などは、かよがかみ砕いて口移しに食べさせていた。

しかし、神奈川新聞によると全く異なる。
自分で歩くことも、しゃべることもでき、音楽好きな明るい子供で、小学部の最年長で下級生の面倒もよくみていた。
下校時には「サヨナラ」と先生方と握手するなど、学校の人気者であった。

横田弘さんは批判します。
被害者である勤君が脳性マヒという身体的障害を持っていたこと、そしてそれが、現在の社会体制の中では「悪」であり「不幸」であり、その「不幸」は死ぬこと(殺されること)によってのみ救われるという位置づけをもった存在であったこと、そうした「悪」であり「不幸」な存在である脳性マヒ児を産み出した存在として、日常的に社会から疎外の対象とされたかぞという、言わば現在の社会そのものから必然的に生じた事件なのである。

横田弘さんの言葉は父親も聞きとれず、住んでいる県営住宅の人たちは「私の言葉が聞きとれるとは思われない」。
脳性マヒ者は程度の差があっても、言語障害を伴うのがほとんどなのである。そして、その言語障害の結果、精神機能に何らかの障害があると思われがちなのだ。
『障害者殺しの思想』は横田弘さんの話を筆記したものです。

横田弘さんは言い切ります。
はっきり言おう。
障害者児は生きてはいけないのである。
障害者児は殺さなければならないのである。
そして、その加害者は自殺しなければならないのである。

原一男『さようならCP』に横田弘さんが出演しています
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