イラクやアフガニスタンから帰還して精神を病むアメリカ軍兵士は少なくありません。
『光あれ』(1946年)はジョン・ヒューストン監督のドキュメンタリー映画ですが、町山智浩『最も危険なアメリカ映画』によると、冒頭の字幕に「負傷兵の二割が精神に問題を抱えた」と出ているそうです。
軍の映画であり、本物の兵士を記録しているので実際のことなのでしょう。
第二次世界大戦においても大勢の帰還兵が精神的に病んでいたとは知りませんでした。
では、日本軍兵士はどうなのかと思い、清水寛『日本帝国陸軍と精神障害兵士』を読みました。
陸軍の精神障害兵士(知的障害兵士も含む)を対象とする専門病院である国府台陸軍病院の『病床日誌』(カルテ)約8000人分が残されており、そのうち知的障害および精神神経症の患者約1300人分について症例を分析・考察しています。
傷痍軍人精神療養所は1940年に開設され、2004年には84人が入院している。
知的障害など兵役不適合の壮丁が徴集された。
日清戦争以前の1891年、「読書算術ヲ知ラダル者」が受検壮丁17919人中4766人、26.6%おり、「稍読書算術ヲ為シ得ル者」を加えるなら全体の60.7%となる。
日露戦争直後の1906年では、「読書算術ヲ知ラザル者」は受検壮丁399393人中33564人、9.9%、「稍読書算術ヲ為シ得ル者」を加えると27.6%を占めている。
軍隊において軍紀等違犯を繰り返し、通常の処罰をしても効果がない者などを対象として、1902年に陸軍懲治隊(1923年に陸軍教化隊と改称)が作られ、少なからぬ知的障害兵士が陸軍懲治隊に編入された。
1911年、陸軍懲治隊に収容されていた兵士50人に対し、医学の立場から調査が実施された。
それによると、44人が病的異常者であり、そのうち17人が痴愚、9人が魯鈍で、その26人のうち、20人は家庭環境が劣悪である。
人形と赤児の区別がわかりませんと答える者、1円以上の勘定ができない者、従兄弟の意味を知らない者、2月が何日あるか知らない者など。
彼らは私的制裁という暴力によって状態が悪化している。
戦争の拡大は陸海軍兵力の急速な拡大をもたらした。
1931年には27万8000人、1937年は130万人を超え、1941年には240万人を上まわり、敗戦時には716万5000人にもなっていた。
現役徴集範囲も急速に増加し、1933年の現役徴集率は徴兵検査受検人員の20%だったが、1938年には40%を超え、1939年には50%となった。
1944年には徴兵適齢が満20歳から満19歳に引き下げられ、徴兵検査受検者は倍増し、徴集率は77%に達した。
敗戦時、満17歳以上45歳以下の男子総数は約1740万人だから、4割以上が軍に動員されていた。
さらに、1945年6月、義勇兵役法が制定され、男子15歳から60歳、女子17歳から40歳の全員が義勇兵役の対象にくみ込まれた。
現役兵の徴集率の増加は、予備・後備役・補充兵役の動員の増加によるものであって、軍隊内の現役兵の占める比率は1944年末で40%、1945年には15%だった。
徴集率の増大は軍隊に劣弱兵士を混入させる要因となった。
軍隊内の精神障害には、戦争のために発生するものと、入営以前から精神障害があったが、徴兵検査では判明しなかったものとがある。
浅井利勇(国府台陸軍病院軍医)「比較的選ばれたものを集めた部隊、補充兵を主にした部隊で差があり、精神薄弱は3~4%に達するところが多く、防空部隊では非常に少なく0.73%に過ぎない。(略)昭和19年には壮丁について日本人81282名について実施した結果50点満点中平均30.7点、15点以下6258名全壮丁の7.9%において智能の低いものが発見された。特にこの成績で特記することは、みかけ上の体格のよい甲種合格グループに智能の低いものの含まれる比率の大なることである」
『病床日誌』の知的障害患者484人を入院年度で見ると、1937年度が4人、1941年度が48人、1944年度が157人、1945年度が81人と、戦争の激化にともなって増えている。
精神年齢は3歳3か月から12歳7か月まで。
症例を読むと、九九ができる、ある程度漢字が読める人もいるし、生年月日を知らない、自分の名前が書けない人もいる。
理解力が劣る、言語が不明瞭、動作が鈍い、表情に乏しいなど。
本来なら徴集されるべきではなかった知的障害をもつ壮丁が、特に戦争末期において兵員としてかなり動員されており、中には甲種合格の者もいる。
戦争神経症は、戦時に軍隊内に発生した神経症の総称である。
戦争神経症が注目されたのは、第一次世界大戦で軍隊内で多数のヒステリー患者が発生したことによる。
第二次世界大戦での精神障害の中で戦争神経症の占める割合は、日本21%、ドイツ23%、アメリカ63%である。
この差は、社会文化的な背景、軍隊のあり方、戦闘様式などが関係している。
『病床日誌』戦争神経症のヒステリー患者374人中、罪責感は31人。
戦争神経症の分類
①戦闘行為での恐怖・不安によるもの
②戦闘行為での疲労によるもの
③軍隊生活への不適応によるもの
④軍隊生活での私的制裁によるもの
⑤軍事行動に対する自責感によるもの
自分の采配ミスから部下を死なせてしまった、不注意で戦友が撃たれた、銃器をなくしたなど。
⑥加害行為に対する罪責感によるもの
特ニ幼児ヲモ一緒ニ殺セシコトハ自分ニモ同ジ様ナ子供ガアッタノデ余計嫌ナ気ガシタ
国府台陸軍病院に収容された患者は症状の重いごく一部の患者にすぎず、数字に現れない多数の戦争神経症患者がいたはずである。
日露戦争以来、軍隊と知的障害兵士との関係は、主として非行・犯罪問題の面からとらえられ、懲罰の対象として取り上げられることが多かった。
戦後も戦傷病者特別援護法に基づいて入院している精神障害者が大勢いることに驚きました。
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