三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

法然と三昧発得(2)

2022年07月03日 | 仏教

玉城康四郎『冥想と経験』を読んでたら、法然は三昧発得を否定しているとありました。
『諸人伝説の詞』(『和語灯録』所収)

乗願上人のいはく、ある人問ていはく、色相観は観経の説也。たとひ称名の行人なりといふとも、これを観ずべく候か、いかん。上人の答ての給はく、源空もはじめはさるいたづら事をしたりき。いまはしからず、但信の称名也と。(然阿良忠『決答授手印疑問鈔』より)

https://www.arigatozen.com/interview_a04.php

現代語訳

乗願上人がいう。「ある人が問うていう。『仏の外に現れて見られる姿形を観想するのは、『観経』に説かれていることですが、たとい阿弥陀のみ名を一心にとなえている人であっても、これは観想すべきものでしょうか。いかがでしょう』
上人が答えていわれる。『源空もはじめはそのようなむだなことをしました。いまはそうではありません。ただ信じて阿弥陀の名号をとなえているだけです』と」(『日本の名著』5)

法然は初めは三昧発得を得ようと「いたづら事」をしたと反省しています。
「いたづら事」とは、無意味なこと、くだらないこと、 無用なこと、役に立たないことという意味です。

『つねに仰せられける御詞』(『法然上人絵伝』所収)

又云、「近来の行人観法をなす事なかれ。仏像を観ずとも、運慶・康慶がつくりたる仏ほどだにも、観じあらはすべからず。極楽の荘厳を観ずとも、桜・梅・桃・李の華菓ほども、観じあらはさん事かたかるべし。


『現代語訳 法然上人行状絵図』

近ごろの行者は、心に対象を顕現させる観想の行をしてはならない。仏の姿を観想しても、運慶や康慶が造った立派な仏像ほどさえも、心に観じ現すことは出来ない。極楽の荘厳を観想しても、桜や梅、桃や李の花や果実の美しさほどにも、観じ現すことは難しいであろう。

観想をするな、すぐれた仏像や、自然の木や花には及ばないと、法然は諫めています。

仏の三十二相を観想する方法を善導は『観念法門』で説いています。
一部ご紹介します。

先づ仏の頂上の螺髻よりこれを観ぜよ。頭皮は金色をなし、髪は紺青色をなす。一髪一螺巻きて頭上にあり。頭骨は雪色をなして内外明徹す。脳は玻瓈色のごとし。次に脳に十四の脈あり、一々の脈に十四道の光あり、髪根の孔よりほかに出でて髪螺を繞ること七匝して、還りて毛端の孔のなかより入ると想へ。次に前の光二の眉の毛根の孔のなかより出でてほかに向かふと想へ。


現代語訳

そこで心眼をもってまず仏の頂上の螺髻よりこれを観ぜよ。 頭皮は金色で、 髪は紺青色をしており、 すべての髪の毛はうず巻いて頭上にあり、 頭骨は雪の色をして内外にすきとおり、 脳は玻璃のような色をしている。 次には脳に十四の脈があり、 その一々の脈に十四本の光があり、 それが髪の根元の孔より外へ出て髪螺を七たびめぐり、 また毛端の孔から入ると想え。 次に、 前の光が二つの眉の毛根の孔より出て外に放たれると想え。

http://www.yamadera.info/seiten/d/kannenmon_j.htm
たしかに仏を観想するよりも運慶や康慶の仏像を見たほうがよさそうです。

法然が観想を否定したのはいつなのでしょうか。
『三昧発得記』は1198年から1206年までの体験が記されています。
法然が流罪になったのが1207年、死亡したのは1212年です。
しかし、曽根宣雄「法然浄土教と三昧発得」を読むと、観想を否定しているわけではないようです。

『選択本願念佛集』は三昧発得の体験を踏まえた上での書物である。
三昧発得は具体的かつ個別的な宗教体験である。
本願行である称名念仏が重要であって、三昧発得は浄土往生の条件でもなく、求めるべきものでもない。
法然浄土教の中で称名念仏行による有相見仏の三昧発得は大切な意味をもっている。
・有相見仏により阿弥陀仏及び浄土の実在を実体験し、有相の阿弥陀仏及び有相の浄土に対する確証を得たこと。
・自ら三昧発得したことが善導の追体験であり、善導教学の真髄に触れたこと。
『選択本願念仏集』に、「偏依善導」の理由を述べて、「善導和尚はこれ三昧発得の人なり」と記している。
法然にとっての口称念仏による三昧発得は、単に善導の追体験を意味するものでなく、善導教学の正しさを具体的に証明するものであった。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/bukkyobunka1992/1998/7/1998_7_53/_pdf/-char/ja

法然が観想を「いたづら事」だと言ってても、三昧発得は大切にしていたということでしょうか。
何万回も称名念仏することによって神秘体験をし、そのことで念仏往生を確信したのだとしたら、これは阿弥陀仏の本願を疑うことになる気がします。

オウム真理教の信者たちは、教えのとおり修行したら、教えのとおりの神秘体験をしたので、教えが正しいと信じました。
法然は三昧発得が幻覚なのか、それとも真実の仏を観たのか、どうやって判断したのでしょうか。
親鸞は「建久九年正月一日記」を書写しながら、どのように思ったのか知りたいです。

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