三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

井上ひさし『父と暮せば』の広島弁

2010年07月10日 | 
井上ひさし『父と暮せば』の舞台は広島、時は昭和23年7月。
父娘が広島弁でやりとりするんじゃが、そんとな言葉は使わんがのうと思うセリフがえっと出てくる。
私は昭和23年にゃあまだ生まれとらんし、巻末の参考資料を見ると、多くの書物が参考にされとって、監修者もおる。
私の間違いなんか思うて、福吉美津江と同年配のオバ(大正15年生まれ)に聞いたら、「そうな物言いはせんよう」と言よった。
以下、いなげなと思うたとこ。

父親のことを「おとったん」言うんは、親の呼び方は家それぞれじゃけ、まあ、そういうもんかと思うんじゃが、聞かんよのう。
じゃんけんで「ちゃんぽんげ」言うんもほうじゃ。

「太い」のふりがなが「ふてー」、「ばかばかり」のふりがなが「ばかばー」、「甘い」のふりがなが「あまー」、「聞き耳」のふりがなが「ききみみゆー」で、「押入れにはなんでもありようた」「たのしいかった」ゆうように長音になっとる。
「ふてー」じゃあ「あまー」たあ言よりゃあせん。
たしかに「太くない」は「ふとうない」、「聞き耳を」が「ききみみー」と延ばすんじゃが、そりゃあ「苦しゅうない。もっと近う寄れ」ゆうんとおなしで、音便じゃと思う。
「ちょんだい」も音便なんじゃろうけど、初めて聞いた。

「なひて」(「なして」)、「失礼」のふりがな「ひつれい」いうふうに、「し」が「ひ」になっとって、「七条」を「ひちじょう」言うけ、そうなこともあるんかしらんが、「なひて」とか「ひつれい」たあ言わん。

それとか、「占領軍の目が光っとってです」「晩の支度が待っとってです」と言うのんは、「しとって」は敬語じゃけ使い方がおかしい。
「うちの身体に生きとってです」はええけどの。

「いけない」のふりがなは「いけめん」となっとって、タウン誌に「ありめん」ゆうて書いてあったけ、そうな言い方もするんじゃろうが、「いけまへん」「ありまへん」が普通じゃと思う。

「ほたえる」いう言葉が何度が出てくるんじゃが、「ほたえる」は古語で、ふざけることを意味し、関西じゃあ「ふざけて騒ぐ」ゆう意味らしい。
じゃけど、文脈からしたら「ふざけて騒ぐ」より「大声を出す」じゃけ、ほれじゃったら「おらぶ」じゃ。
ネットで
「ほたえる」を調べたら、京都じゃ「あばれる・さわぐ」ゆう意味じゃそうな。

それでネットであれこれ調べると、『父と暮せば』にゃあ、よその地方の方言が使われとるように思う。
広島じゃあ「こげえ」は「こがあに」か「こうに」、「そがん」は「そがあな」か「そんとな」じゃが、「こげえ」は奥豊後なんじゃ。
「おとろしゅうてならんのよ」は大阪と高松、「非常に」のふりがなの「じょうに」は高松。
それとか、座布団を「だぶとん」とふりがながしてあるんじゃが、「全然」を「でんでん」と言うようにザ行とダ行が混同するのは近畿じゃ。

ほかにも、「非道い」のふりがなの「どえりゃー」は名古屋弁、「ごっつ気の利く」は大阪弁じゃし、「一番」のふりがなの「ずんど」は出雲弁。
「きれいかったです」が九州の言葉みたいじゃ。

じゃけど、「大きな」のふりがなが「いかい」になっとって、調べたら「いかい」は古語で、茨城から広島、山口までの広い範囲で「大きい」ゆう意味で使われとるそうじゃ。
「そいが」(「それが」)、「こいから」(「これから」)みたいにrが省略される言い方にしても全国的じゃ。
県北や島嶼部では広島市内とはちごうた物言いするし、広島じゃあ使わんたあ思うても、ひょっとしたらそうな言い方するとこがあるかもしれん。
『父と暮せば』の広島弁が間違いとはいちがいに言えんのんかのう。
じゃが、不自然な感じはやっぱりするようの。
こうの史代『夕凪の街 桜の国』を立ち読みしたら、普通につこうとる広島弁じゃったけほっとする。
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