三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

本願寺の戦争協力

2018年01月31日 | 戦争

某氏より「非戦平和を願う真宗門徒の会会報 5号」をいただきました。
西本願寺の方が何人か寄稿してます。
本願寺の戦争協力について知らないことがたくさんあるもんだと、あらためて思いました。

藤本信隆「門信徒との課題の共有」

本願寺教団の戦争協力はアジア太平洋戦争からではない。
西南戦争に始まり、日清戦争を経て、日露戦争でほぼ形ができ上がった。
根拠となる教学は西本願寺門主の大谷光尊(1850~1903)の「後の世は 弥陀の教えに まかせつゝ いのちをやすく 君にさゝげよ」という真俗二諦だった。
死んだらのことは阿弥陀仏にまかせ、現世は国家の方針に従うという生き方である。

松橋哲成「浄土真宗と教育勅語」

真俗二諦とは、近代の本願寺教団が天皇絶対主義体制に順応するために生み出した論理である。
浄土往生のための信心と、日常生活のための世俗倫理を二分化させ、この世はその場の状況に合わせるという生き方であり、俗諦の具体的内容こそが教育勅語だった。
教育勅語に対する方針は、天皇陛下の意を一日中、心にとどめ、これを永遠に伝えることと規定した。(1891年)

大谷派の暁烏敏は「お勅語を飛行機で運んでいこう。お勅語を軍艦で運んでいこう。大砲でお勅語を打ち込もう。重爆でお勅語をひろめよう」(『臣民道を行く』)と書いている。


藤本信隆「門信徒との課題の共有」

大谷光瑞(1876~1948)は「出征軍人の門徒に告ぐ」という小冊子と懐中名号を約44万人の将兵に贈呈した。

小冊子の内容は、平和を求めるためという戦争の正当性、命の無常と意義ある戦死、阿弥陀の救いがあるという安心、天皇の心の理解と報恩の実践などである。

正義の戦争では殺生戒を犯したことにはならない。
戦闘中に恐怖心が起きても、阿弥陀仏の慈悲を思い出して念仏を称えたら、戦死しても極楽往生できる。
戦死は天皇のために命を捧げ、靖国神社に祀られる名誉であり、身に余ることである。

旅順攻撃の時、称名念仏しながら突撃することがあり、石川、富山、福井の連隊で構成された第九師団の中には、多くの戦死者を出して「念仏大隊」と賞賛された大隊があった。


松林英水「戦時中の仏教界のスタンス」

日本の仏教界では、各教団が組織を挙げて報国運動をおこなった。
しかし、中国の仏教界では、全国の仏教徒に抗日救国を訴え、抗日運動を展開した。

中心となった圓瑛法師は1931年、9.18事件(満州事変)の時に日本の仏教界へ「日本仏教界への書」というアピールを出し、戦争停止の呼びかけを行なった。


満州事変での呼びかけは次のような内容だった。

わが釈迦牟尼仏は慈悲平等をもって世を救うことを願われ、われら仏教徒は共にこの仏の素懐を体し、仏の教えを宣揚すべきであります。日本は仏教を信奉する国であり、国際的に慈悲平等の精神を実践し、東アジアに平和をもたらし、世界平和をさらに進めるよう尽力すべきであります。しかしながら、日本の軍隊が侵略政策をもって中国領土を占領し、中国人を惨殺するとはどういうことでありましょうか。これは日本政府の主張でもなく、日本人の意志でもありますまい。軍を掌握し、私利を図り、国家の名誉を顧みない少数の野心家たちの犠牲になったのであります。皆様が出広大舌相して共に無畏の精神を奮って全国民を喚醒せしむるよう努力し、日本政府に陳情書を提出して、中国における軍閥の暴行をやめさせ、国連の事案を遵守し、即日撤退されるよう切に望むものであります。


1937年の7.7事件(蘆溝橋事件)の時にも、圓瑛法師は「日本仏教徒に告げる」を発表している。

これに対して日本の明和会(仏教各派の代表者や有識者によって組織されていた)が「全支那仏教徒に誨(おし)ふ」という反論の文書を出し、このたびの戦争を「道の戦」であるとし、「真に人道正義国権擁護の為に億兆一心の生命威力を発揮するに至った」ものであると唱えた。

そして、「東亜永遠の平和を確立せむが為に仏教の大慈悲発して摂受となり又折伏となる。この已むに已むを得ざるの大悲折伏一殺多生はこれ大乗仏教の厳粛に容認する処である」と断じている。
さらには「皇国日本」の行う戦争を仏教の名において支持した。

太虚法師の日本仏教界への呼びかけは日本の敗戦まで計9回に及んでいる。

満州事変の時の呼びかけには、台湾・朝鮮・日本の仏教徒が速やかに連合し、日本の軍閥・政客の非法な行動を制止させるよう訴えた。

蘆溝橋事件の後に出した「全日本仏教徒に告げる」では、日本は軍事行動を停止すべきであり、日本の仏教徒は慈悲の心と智慧の眼を開いて自らを救い、人を救うべきであると訴えている。

これに対して、日本仏教連合会は、今日の情勢は中国が日本に恨みや憎しみをいだいたためにもたらされたものであり、太虚法師こそ迷蒙の人々を覚醒せしめ、抗日の心理を対日提携の心理に変えてゆくべきであると返答をしている。

仏教を学び、教えに従って修行をしていても、こんな体たらくとは。
仏道の実践は至難の業ということでしょうか。

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