青草民人さんのコラムです。
身を削り 人に尽くさん すりこぎの
その味知れる 人ぞ尊し
これは、母から聞いた福井県の曹洞宗永平寺にある、大きなすりこぎを詠んだ歌です。
今年の夏休みは、家族で両親のふるさとである福井県に出かけました。何十年かぶりに東尋坊や永平寺を訪れました。今回は、母も連れて、亡き父を偲びつつ、両親の実家の墓参りなども済ませることができました。
福井県といえば、北陸の真宗王国です。親戚のお内仏は、お寺のような立派さ。家の大きさよりもお内仏の大きさを競うほど信心深い土地柄です。
残念ながら時間の都合で、吉崎御坊には行けませんでしたが、福井別院の大きさに驚きました。自らの血の中にも真宗魂が息づいていることを改めて実感しました。
さて、先ほどの短歌に話を戻しましょう。
永平寺はご存知のように、親鸞聖人と同じ鎌倉時代に生きられた道元禅師が開かれた曹洞宗の坐禅道場です。厳しい修行を通して、ひたすら自らと向き合う神聖な場所です。
仏教の教義は異なりますが、道を求めるその姿に清心さを感じました。
そしてさらに、仏教は、私のようなこうした厳しい修行に耐えられない凡夫の身の置き所まで考えられた、すそ野の広い教えであることもありがたく思うとともに、若い雲水の修行が、満行されますようにと願いました。
大きなすりこぎが、厨房の前に下がっています。すりこぎは、自分の身を削り、やがて役目を終わっていきます。毎日ごりごりと、永平寺ゆかりの胡麻豆腐の胡麻などをすりながら。
多くの雲水がその味に、食のありがたさ、尊さを感じ、すりこぎが身を削った分、我が身を支えていることへの感謝の心を味わうのでしょう。
真宗の教えにも、
如来大悲の恩徳は
身を粉にして報ずべし
師主知識の恩徳も
骨を砕きても謝すべし
とあり、このすりこぎの捨て身の恩徳に報いる覚悟が示されているように思います。
食育の大切さがさけばれている昨今、すりこぎの歌が、山深い越前の古刹の景色とともに、深く胸に刻まれたひとときでした。
身を粉にして報ずべし
師主知識の恩徳も
骨を砕きても謝すべし
恩徳讃というのでしょうか。歌を聞いたことがあります。心が和みました。
ところで、毎朝、五木寛之さんの『親鸞』を読んでいます。単行本になっている前作同様、出色の出来ですが、挿絵にも心惹かれます。今回エントリした親鸞さんの絵ですが、髪の毛の1本1本まで描いて、ペンの力を感じさせます。素晴らしいです。
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/34b360fdcccb2ea49fc6bc9ca186989d
単行本化されたときに、一気に読みたいですからね。
それまでのお楽しみ。
比叡山延暦寺のお坊さん…ここは、こんぽん的にひえぇます。
高野山金剛峰寺のお坊さん…こんごぅ、無事に帰れるようボチボチ歩いてください。
こんな冗談、ジョウダンから話せませんけどね。
今年の晩秋には、須磨寺に行く予定です。このお寺には、変わったお琴があると聞いています。大震災のとき、犠牲者の安置場所になっていましたが、今はどうなっているのでしょう?
食育といえば、お茶を沸かすという言葉を知らない児童もいるらしいですね。ペットボトルでしか飲んだことないみたいです。お点前たてる、なんてもっと理解できないでしょうね。
手前勝手・手前味噌とかいう言葉もありますが、どうしてお点前たてる・お点前拝見などのとは、点の字を使うのでしょうね?
私は永平寺には行ったことがありません。
中学生のころ、奈良のお寺を観光バスで回ったことがあります。
薬師寺では高田好胤師が話をされました。
大変おもしろいお話でした。
寄付しようかという気になりましたからね。
点前については↓にありました。
http://kotobahiroi.seesaa.net/article/103642454.html
私も自分の恋心を捨てたい、アハッ!
見ればよかったですね。
高田好胤師については、丸山照雄『日本人の心をダメにした名僧・悪僧・愚僧』にボロクソに書かれています。
どこがいけないのかは忘れました。
映画はアホほど見ますが、テレビは見るのが面倒なもので。
知人から「死刑弁護人」を録画したDVDをもらったのですが、そのままにしていたら、映画館で「死刑弁護人」が上映されることになりました。
こちらはホイホイと見にいきます。