三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

末木文美士『日本宗教史』

2007年07月21日 | 仏教

柳田国男の宗教観・死後観、あるいはアニミズム・縄文文化が日本文化の底流だという梅原猛といった人たちにはどうも違和感を感じてきた。

末木文美士『日本宗教史』を読み、彼らは日本人の発想を制約している歴史を貫く不変の何か(古層)を明らかにしようとしたんだとわかった。
末木文美士は、歴史を貫く一貫した〈古層〉は認めず、それを歴史的に形成されたものと考える。

では、〈古層〉はどのように形成されたのか。
末木文美士の考えをいくつか紹介します。

・記紀神話は天武・持統政権の正当化のために作られた。
記紀神話は仏教や中国文化の影響下にある。

・元寇を契機にナショナリズムの機運がおこり、日本優越的思想が形成された。
日本の神こそが根本であり、中国やインドの宗教は神道が展開したものだという考えである。
江戸時代になると、日本中心主義を儒者がとなえだした。
そして、仏教、儒教が相対化されるとともに、国学者は日本文化の優越性、普遍性を主張するようになった。

・豊臣秀吉の豊国社、徳川家康の東照宮のように、権力者が神として祀られるのは近世以降。天皇が現人神として崇拝の対象となるのも、この流れに位置づけられる。

・儒教や神道からの仏教批判があり、仏教を排除するためには神道や儒教独自の神葬祭、儒教式葬儀を行う必要があった。
しかし、仏教以外の葬式は広まらなかった。
葬式を担当できるかどうかが、宗教として定着できるかどうかを決める決定的な要因となっている。

・柳田国男の死後観である「霊は永久にこの国土のうちに留まって、そう遠方へは行ってしまわないという信仰」は、柳田国男が言うように仏教渡来以前からのものではなく、平田篤胤の来世観を受け継いだものである。
死者が身近にいるというのは、少なくとも死者のケガレがそれほど恐れられなくなった時代になってはじめて成り立ちうるものであるから、せいぜい近世頃からのことに過ぎない。

・明治になり、宗教は国家主義道徳の優位を認めなければならなくなった。
北村透谷、清沢満之らは、自己の内面に沈潜することによって世俗を超えた普遍的な真理を求めようとしたが、それも行き詰まっている。

〈古層〉を相対化することで呪縛からいくらかでも解放されるかもしれない。
しかし、別の何かを立ててしまったのでは同じことになってしまう。
問題となるのが、仏教史を貫く一貫した教え・真理というものはあるのだろうかということである。
釈尊は阿弥陀の本願を説くためにこの世に生まれたと、真宗では考える。
仏教の〈古層〉は本願だということになるのだが、それでいいのだろうか。

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