三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

一家3人殺害の死刑囚、東京拘置所で病死

2009年09月16日 | 死刑

一家3人殺害の死刑囚、東京拘置所で病死
1971年に神奈川県三浦市で親子3人を刺殺し、死刑が確定した荒井政男死刑囚(82)が3日、東京拘置所で敗血症のため死亡した。
これにより、執行されていない死刑確定者は102人になった。
荒井死刑囚は71年12月、金策のため同市の知人男性方を訪れ、男性と妻、長女を次々と刃物で刺して殺害。
76年9月に横浜地裁横須賀支部で死刑判決を受け、90年10月に最高裁で上告が棄却されたが、91年1月に再審請求していた。
東京拘置所によると、荒井死刑囚は2003年頃から、高血圧や糖尿病などの治療を続けていたという。
読売新聞9月3日

神奈川・三浦市の一家3人殺害で死刑囚の男が拘置所で病死
東京拘置所は3日、神奈川県三浦市で昭和46年に一家3人を刺殺したとして殺人罪に問われ、死刑判決を受けた荒井政男死刑囚(82)が同日朝、収容されていた同拘置所で敗血症のため死亡したと発表した。荒井死刑囚は高血圧や糖尿病などを患っており、7月中旬から容態が悪化していたという。確定死刑囚は102人となった。
確定判決によると、荒井死刑囚は46年12月21日夜、三浦市三崎、食糧販売業、岸本繁さん=当時(53)=方を訪れ、借金を断られたことに腹を立て、持っていた刃物で岸本さんを刺殺。家の中にいた岸本さんの妻、喜代子さん=同(49)=と長女の昌子さん=同(17)=も刺して殺した。
荒井死刑囚は公判で無罪を主張していたが、最高裁は平成2年10月、死刑を言い渡した1審、2審判決を支持、上告を棄却して刑が確定した。
産経新聞9月3日

読売新聞や産経新聞の記事だけを見ると、どうしてこんな奴を20年近くも執行せずに生かしてきたのかと思うだろう。
ところが、荒井政男氏は冤罪間違いなしと言われていた死刑囚だったのである。

『死刑囚からあなたへ』という本に荒井政男氏の手記「わたしは冤罪死刑囚である」が載っている。
それによると、荒井政男氏の娘は家出をくり返し、そのたびに荒井政男氏は娘を捜し回っていた。
事件のあった日も娘が家出したので車に乗って探しに行き、たまたま被害者宅の近くに車を止め、食堂で食事をして飲み過ぎ、岸本商店の向かいで眠ってしまう。
2時間後、ふと目が覚めると男が岸本商店に入っていき、しばらくしてその男が走り去っていくのを見て、喧嘩かなと思い、岸本商店に行ってみると、店の出入り口に血痕靴跡がある。
店内に入ると血の海で、人が殺されていた。
外に出ると少年が「あの人つかまえて」と叫ぶので、まずいなと思って逃げた。

偶然そこに居合わせただけだ、なんてこと誰が信じるのか、という話なのである。
それなのに、どうして荒井政男氏は無罪だと主張するのか
1,被害者の息子は、犯人は「ものすごい勢い階段を駆け昇ってきた」と証言している。
しかし、荒井政男氏は交通事故で足が不自由になったので、階段を駈けのぼることはできない。
2,犯人の残した靴跡の大きさは25・5cm~26cmだが、荒井政男氏の靴の大きさは27cm。
3,荒井政男氏は事故のために右足が左足よりも短くなっているのでガニ股で歩く。ところが現場に残された足跡の鑑定結果は「現場の足跡痕はきわめて正常な歩行能力を持った人間のもので、被告人の歩き方とは一致しない」そうだ。
4,3人も刺殺したのだから返り血を浴びるはずだが、荒井政男氏の車内には米粒大の血痕があっただけ。
5,現場には荒井政男氏の指紋がない。
そして、荒井政男氏には動機がない。
荒井政男氏は信じられないくらい運の悪い人なのである。

澤地和夫『東京死刑囚物語』に、荒井政男氏のことがこう書いてある。
「05年12月30日現在の荒井は、入浴や面会等も車椅子なくては過ごせない状況の上に、目も見えなくなったたま、死刑確定者への特典でもある週3回のビデオ鑑賞もかなわず、閲覧の新聞(読売)も読めない状況にあります。ですから、朝7時に起きて夕方の5時以降までは、食事時以外は、ただただ独房の畳の上にうずくまるような格好で座り続けているだけです。見ていて、とても気の毒でなりません」
あまりにもひどいと思う。
荒井政男氏の再審を認めて無罪になったら、裁判所のメンツはつぶれるし、高額の賠償金を払わないといけないしで、再審が難しいのはわかる。
だったら、恩赦で外に出してもよかったのではないかと思う。
今さらどうしようもないけれども。

「横浜地裁横須賀支部に再審請求中で、支援団の青木孝弁護士は「娘が受け継ぎ、再審請求を続けたい」と話した」毎日新聞9月4日
家出した娘さんだろうか。

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1 コメント

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怠慢検察の罪 (流浪の民の乱)
2009-09-22 15:09:05
何も解明されない嘆願弁護の刑事公判
飲酒しての暴行事件とされたが真相はこの通りである
この一回のみの公判で長谷川憲一裁判長から証拠物の所有者として当方の名が何度か挙がった。
しかしこの犯行現場の唯一の目撃証人として事実調べをすべきであった。

Aとはヤクザ・柿崎(行方知れず)  Bとは橋下のヤクザ・橘  Cとは安藤(元プロボクサー)  仮出獄のDとは階下のヤクザ・井上
古紙集積場の作業員に雇われた柿崎は勤めて5日後にバックをする大型トラックに轢かれたと偽り労災申請を要求した 真面目に働こうとした安藤までグルと看做され解雇された これが起因となり11日後の傷害事件が起きた
被告人・橘は被害者・安藤に犯罪を強要 拒む安藤を暴行した 当然に服役体験のある被告は執行猶予とならない 裁判の効率とかで事実調が為されない暗黒司法の現実である。

http://suihanmuzai.web.infoseek.co.jp/rousai.jpg.html
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