三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

障害児殺しと青い芝の会(3)

2024年06月27日 | 日記
親が障害のある子供を殺す事件が起きるたびに減刑嘆願運動が行われ、事件の大きな要因として施設不足、福祉政策の貧困、国家の責任などがあげられていました。

横塚晃一『母よ!殺すな』に、1970年の横浜の障害児殺人での嘆願書が引用されています。
現在重症児(者)を受け入れる施設があまりにも不足している。毎日、施設を訪れ嘆願すれど受け入れがたく、様々な状況から発作的にやむをえずヒモで殺した。大人になっても不憫と思ってのこと。

青い芝の会が県民生部社会課、県議会の心身障害者政策懇談会、各党の県会議員と横浜市議、担当の金沢警察署などに対し、意向を話し、意見書を手渡して歩いた。
しかし、「あなた方の気持ちもわかるが、もっと多くの施設があればあのような事件は起こらないのではないか」「裁かれねばならないのは国家である」といった反発が返ってきた。
施設があれば事件は起きなかったということです。

1965年、総理大臣の諮問機関として設置された社会開発懇談会が「社会開発に関する中間報告」において、障害者への対策としてリハビリテーションとコロニーが言及された。
①心身障害者は近時その数を増加しており、障害者は多く貧困に属しているので、リハビリテーションを早期におこなって社会復帰を促進せよ。
②社会で暮らすことのむずかしい精薄については、コロニーに隔離せよ。

横田弘『障害者殺しの思想』は、障害者を施設に入れればいいという考えを批判しています。
多くの健全者が障害者の気持ちが分かるとか、障害児が殺されるのはやむを得ない、とか、施設をつくれとか、施設に入れてしまえば、とか考えるのはどうしたことだろう。
やはり、障害者(児)は悪なのだろうか。
「本来、あってはならない存在」なのだろうか。
本当に健全者は、障害者が憎いのだろうか。
障害者は殺してしまえ、という論理なのだろうか。

1972年に経済審議会は新経済五ヵ年計画の中で「重度心身障害者全員の施設収容」を謳った。
横塚晃一さんはこの計画を問題にしています。
「植物人間は、人格のある人間だとは思ってません」という太田典礼の言葉こそ、「経済審議会が2月8日に答申した新経済五ヵ年計画のなかでうたっている重度心身障害者の隔離収容、そして胎児チェックを一つの柱とする優生保護法改正案を始めとするすべての障害者問題に対する基本的な姿勢であり、偽りのない感情である。

では、障害者施設はどんなところなのでしょうか。
1968年、府中療育センターが開設した。
一部屋に50人ずつ収容される。
入口は常に鍵がかけられ、職員の出入にもいちいち鍵をかけはずしする。
入口の内側に職員の詰所があり、そこから部屋が一望できるようになっている。
外来者は入口までしか行くことができない。
中にいる障害者はおそろいのパジャマ一枚で、私物はほとんど持たされない。
外泊、外出は親が二週間前に申し入れを行い、許可を得なければならず、保護者以外では許可されない。
まるで刑務所のようです。

入所者の訴えにより、青い芝の会が府中療育センターに運営方針を改めるよう再三交渉した。
しかし、いつも「私達は大事な子弟を預かっている責任上、当然のことをやっているまでだ。管理運営上これが好都合なのだ」と突っ放された。
http://www.arsvi.com/d/i051970.htm

横田弘さんは、親が障害児(者)を施設に預ける場合、最寄りの施設に入れるのではなく、なるべく遠いところへ入れようとする傾向が著しいと言っています。
施設に入れて後は知らん顔というのでは、重度者はますます疎外され、地域社会から隔離されてしまう。

横田弘さんが街を歩いていると、「どこの施設から来たのか」と言われ、ひどいのになると「どこの施設から逃げてきたのか」と言われたことがあるそうです。
親兄弟や地域社会から隔絶された施設が、障害者にとって、一般社会にとってどういう意味を持つだろうか。

私自身、正直なところ障害者は施設で生活すればいいと思っていました。
筋ジストロフィーの人が自立生活をしていると聞いて、食事から何から誰かに介助してもらわないといけないのに、それがどうして自立生活なのかと思いました。
障害者の不妊手術にしても、障害のある子供が産まれたらどうするのか、子供を育てられるのかといった、優生主義、差別偏見の気持ちもあります。

障害者の自立とはどういうことでしょうか。
大橋由香子さん。
障がいのある人がヘルパーさんに車椅子を押してもらってスーパーに行き、自分の意思で買い物をするような生活を障がい者解放運動では「自立生活」というのだと知り、人の助けを借りることと自立とは矛盾しないのかも、と発見しました。

小児科医で脳性マヒの熊谷晋一郎さん。
一般的に「自立」の反対語は「依存」だと勘違いされていますが、人間は物であったり人であったり、さまざまなものに依存しないと生きていけないんですよ。だから、自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない。

施設よりも、親が相談できる機関、悩みを打ち明ける場所、在宅で世話ができるシステムが必要です。
ところが、今も状態は変わっていません。
障害者施設での職員による暴行、虐待が今も後を絶えません。
横田弘さんの「殺人を正当化する考えから作られた施設とは殺人の代替ではないか」という言葉はもっともだと思います。
障害者に限らず、困った時に肩身の狭い思いをせずに相談でき、助けを頼むことができる社会であるべきです。
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