山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

偽ススキ(=セイバンモロコシ)の話

2020-09-01 04:09:26 | 宵宵妄話

 コロナ禍定着の感ありのこの頃、毎早朝の散歩が日課となっている。日の出少し前に家を出発して、約3時間をノンストップで歩く。歩きながら補給する水分は500CCのペットボトル一本。歩く距離は14kmほどか。今日は小貝川という利根川支流の堤防を歩くのがメインのコースだった。

 堤防を歩いていて、最近妙な違和感を覚えるものがあった。自分は道端の草たちに興味関心があり、その名前を知ることに長年努めて来ており、主な草たちの名はそれなりに知っているつもりなのだが、中には苦手なものもあり、その代表がイネ科の植物たちだ。特に春先の若草世代では、見分けることが難しく、見慣れているのに名前が判らない草が多い。例えば、稲の苗の小さい時の姿とエノコロ草やメヒシバの小さい頃の姿から、それらが育って稔りの秋となった頃の姿を想像するのは難しい。秋になり花が咲き、実が稔れば自ずと違いは明白となるのだが、幼草時に見分けるのは相当慣れ親しんだ人でないと難しいと思う。

 そのイネ科の植物の中にススキがある。ススキは秋の七草にも入っている季節の風情を表す代表的な草でもある。ススキは昔から知り馴染んできた草であり、穂が出なくても葉を見ただけですぐそれと判るのだが、今回妙な違和感があって気づいたその草は、葉は明らかにススキなのだが、花(穂)が全く違っていたのである。花が咲くまでは間違いなくススキと信じていたのだが、咲いている花は違うのだ。ススキとは似ても似つかない別系統のものなのだ。一体、何者なのだ、これは。と思った。

それで、すぐに図鑑で調べて見たのだが、どの図鑑にも載っていないのである。尤も図鑑は20年以上も前に購入したものだから、新参の外来種などは載せようがないのかもしれない。そこでネットで調べてみた。最初はススキの項で似たようなものを探したのだが、どの写真も違っていたのである。そこで気づいたのは、穂の形状からこれはモロコシの類ではないかと思った。それで調べてみると、あった!同じ姿の写真があり、そこにはセイバンモロコシと名が記されていた。

 セイバンモロコシは、漢字では西蕃唐土と書くらしい。唐土は古代中国のことだから、西蕃というのは、中国の西の方の蕃(=野蛮)な地方という意味となるのかもしれない。また、唐土というのはここでは植物のことだから、これはトウモロコシではなく別の黍(きび)のことを指すのであろう。つまり、この植物は中国の西方のエリア辺りが原産地で、それが今日本国に侵入して来ているということなのであろう。

更に調べてみると、この草は外来種で1945年頃に日本に侵入し帰化したらしい。北海道を除く全国エリアに広がっているという。この草は歓迎されない悪草であり、その成分中にシアン系や硝酸塩などの毒物を含んでいるという。従って牧草などには不向きで、牛などは見向きもしないという。北海道に侵入していないのは幸いなことだなと思った。牛が食べて死ななくても、その中に青酸カリと同じような成分が入っているとしたら、牛のお世話になっている人間には重大な影響がある筈だ。除去のための研究も進んでいるらしいけど、この草だけを除去するのは至難のようだ。何しろイネ科には多数の種類があり、必要不可欠の草も多いからである。今のところ、対処法としては穂が出る前に早期に刈ることしかないようである。一見すると、涼しげで親近感を覚えても不思議でない姿をしているのだが、その秘められた本性を知ると、敵意を感ずる草なのであった。

 今まで、葉ばかり見ていたので、ススキだとばかり思っていたのだが、真に迂闊だったと反省した。というのも、穂が出る頃までに堤防の草は刈られてしまうので、気づかなかったのだが、今回残った奴がススキではないことに初めて気づいたのだった。一旦それが判ると、存外至る所に蔓延っており、今まで騙されていたことに少なからず憤りを感じたのだった。

     

小貝川堤防に刈り残されて穂を出しているセイバンモロコシ。この場所だけではなく、利根川や鬼怒川の堤防にも多く見られている。

 

今の世、このところ騙しや欺き或いは裏切りなどの犯罪が急増している感じがする。ドロボーなども自動車を初め農家の生産物や家畜に至るまで、他人が丹精して夢を育てたものを盗むという真に悪質な犯罪が多発している。善意で成り立っている世の中を破壊しようとしているかのような悪意が膨らんで来ている。

 我が80年の人生の中で、これほど悪が蔓延り出したのを見るのは初めてのことだ。昭和の終戦後の貧しさと混乱世情の中では、食うために形振り構わず犯罪に手を出した者も居たと思うけど、現在のような悪質さは無かったように思う。農作物であればスイカ一個や大根一本を盗るレベルの犯罪はあったとしても、何十個ものスイカを一挙にトラックで持ち去るとか、或いは最近では子ブタや子牛を盗むというような悪質な話は聞いたことも無かった。

 世の中全体が豊かになると、一方で犯罪もその質においてより多く膨らむようだ。くるま社会、ネット社会の到来は犯罪のレベルを引き上げている感じがする。レベルだけではなく、性善説を否定するかの様な道徳、人倫の道を踏み躙(にじ)っている感じさえするのだ。ドロボー以上に怒りを覚えるのは、人を騙す行為である。電話詐欺は未だに後を絶たない。善意を装って善人を騙し、老人の蓄えを騙し掠め取るという行為は、殺人に等しい人道に悖(もと)る行為だ。総じて平和ボケの中で悪をのさばらせているのは、世の中の箍(だが)が緩んでいるのではないか。時々、法律(刑法)などを変える必要を感じている。詐欺の犯罪などは、殺人罪と同等の刑罰に処するべきだと思う。善意で更生を願うなどという甘い処置では、今の世もこれからの世も悪は蔓延るばかりであり、厳しく断罪すべきであろう。

 話がズレているのは承知しているけど、この涼しげな穂を風になびかせるセイバンモロコシを見ていると、こいつも我が国に侵入した悪質な犯罪者ではないかと、何故か怒りがこみ上げてくるのである。

コメント
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