山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

軽井沢・越中おわら風の盆紀行(その1)

2017-09-14 03:05:24 | くるま旅くらしの話

※8月の終わり近い29日から9月の3日まで、軽井沢から富山市八尾のおわら風の盆見物という短い旅をして来ました。その状況について、何回かに分けて披歴したいと思います。今日はその一回目です。

 <はじめに>

このところ何処へも出かけることなく家の中にくすぶっていたのだが、8月の初め頃に岡山県倉敷市に住む知人から、軽井沢の保養所の予約を申し込んでいたのが取れたので、ご一緒しませんかとのお誘いを受けたのだった。知人と会うのも4年ぶりだし、軽井沢ももう何年もご無沙汰しているので、ありがたくお受けし、喜んで出掛けることにした。折角の機会なので、軽井沢までを往復するだけでなく、この時期他に何かついでに見聞できるものは無いかと調べている時に、そうだ、少し足を延ばせば、越中八尾のおわら風の盆があったっけ、と気づいた。富山県八尾町辺りは何度も通過しているのだが、まだ一度も有名な風の盆というのを見たことがなかった。踊りは相棒の世界であって、自分的にはさほど関心は無いのだが、盆踊りは民族舞踊の一つとして、昔につながるものという捉え方もあり、一度は見ておく必要ありと考え、軽井沢に追加して5~6日の短い旅をしようと決めたのである。

 第1日 <8月29日(火)> 

 <行程>

自宅 →(R294・R50)→ 太田桐生IC →(北関東道・東北道・上信越道)→ 松井田妙義IC →(R18他)→ JFE保養所(軽井沢清風荘)(泊)

知人のAさんとは、4~5年前に初めてお会いして以来久しくご無沙汰している。ご夫妻は歩きの旅を中心に日本のみならず世界の各所を訪ねておられて、その都度珍しい絵葉書の便りを頂戴している。ところが実のところまだ一度もじっくりと話をしたことがなく、以前お会いした時も、お互いの仲間内の一人として短い会話を交わすだけだった。それが今回はわざわざ遠い倉敷から軽井沢まで出向いてこられての再開となるので、格別に思いのこもったひと時を過ごせるのではないかと、ありがたく、また嬉しく胸を弾ませての出会いなのである。風の盆のことなどは忘れて、今日は目一杯その出会いを楽しもうと思いながらの出発だった。

朝の9時過ぎ孫たちに見送られての出発となった。8月もあと数日足らずで終わりとなり、時々涼しい日が訪れるこの頃なのだが、今日は暑さがぶり返したようで、この先、日中の道中が思いやられる感じがした。軽井沢まで行けば、高度千メートル近くの涼しさを味わえるのだから、それを楽しみにして行くことにする。チエックインが15時からということなので、その頃までに着くようにと考えている。行程としては、一般道をベースにするのだが、高崎や前橋辺りは道路が込み合うので高速道で通過することにして、その先松井田妙義ICで下りてからは、碓氷峠の山道をゆっくり上ることにしている。

先ずはR294を常総市から下妻市、筑西市に向かって進む。この辺りは茨城県の米どころの一つで、関東平野の真っただ中辺りとなるのか、幾つもの広い田んぼが道の両脇に展開している。もう稔りに達した田んぼには、早くも稲刈りを終えた新しい切り株が整列しているのが見えた。年々稲刈りが早くなるのは、品種改良なのか、それとも異常気象への対応なのか。一昨年は常総市内の鬼怒川が大氾濫して、稲作農家は大打撃を受けていることも影響しているのかなどと思いながら、下妻市を経て間もなく筑西市からR50に入る。この道をしばらく辿って栃木県から群馬県に入り、太田桐生ICから高速度を利用するつもりでいる。

間もなく結城市、小山市の中心街を通過し、郊外にある道の駅:思川(おもいがわ)にて小休止とする。この道の駅はオープンしたのが比較的新しくて、その分だけ多目的な要件を揃えてつくられているようだ。店内には新鮮な野菜などを中心にいろいろ魅力的な産物が並べられている。相棒がお腹が空いたと、おにぎりなどを買って来たので、少し早目の昼食とする。旅に出るとどうしても食べ過ぎの傾向となるので、糖尿病持ちの自分は要注意である。車の外はかなりの暑さだ。猛暑日のそれに近づいているのではないかと思うほどだった。

昼食の後は、ひたすら走り続けて群馬県に入り、予定通り太田桐生ICから北関東道に入る。流れは順調で、少し走って高崎JCTから関越道を上り線へ、直ぐに藤岡JCTから上信越道に入る。甘楽PAで一息入れて、そのあと松井田妙義ICで高速道と別れ、R18に入り、少し走って横川名物峠の釜めしのおぎのやのドライブインで休憩とする。

峠の釜めしはJR信越線が分断されずに元気よく走っていた頃には、スイッチバックのための長い駐停車時間を過ごす際に、必ず買い入れて食べた名物の駅弁だった。それが今はスイッチバックも無くなり、使われていた線路も鉄橋も過去の遺物となっている。しかし名物だった釜めしはしぶとく生き残って、昔よりも力を増しているようだ。若い世代の人たちには、名物釜めしの昔など見当もつかぬことであろう。老人の感慨は、ため息交じりである。

一息入れた後は、碓氷峠に向かって出発する。この峠を越えれば軽井沢である。高速道だとトンネル一つで軽井沢の町なのだが、R18は大いなる山越えの道である。つづら折りの坂道には、時々猿が飛び出して来たりするので油断はならない。今日は見当たらなかったが、猿君たちも暑さに辟易しているのかもしれない。尤も峠の最高地点は標高が千メートル近くあるのだから、かなり涼しい筈だ。猿の世界の事情はわからない。そのようなつまらぬことなどを考えながら間もなく峠を越え、軽井沢の町に入る。

未だ14時半を少し過ぎた時刻なので、道脇の公園の駐車場に車を止め、保養所入りの際に持参する必要のある着替えや洗面用具などの準備をする。SUN号の旅で車内に泊らない夜を過ごすのは久しぶりのことである。何だかいつもとは違う豪勢な宿に泊るような気分となっている。天気は上々でよく晴れている。さすがに標高が800mを超えている軽井沢の空気は涼やかである。しばらく休憩して、準備を終え出発する。JFEの保養所は旧軽井沢の駅の南側にあって、全くの森の中にあり、ナビに載っていても少し判りにくい場所だった。それでもAさんから細かい道順を教えて頂いているので、迷うことなしに到着することが出来た。15時を少し過ぎていた。

受付で伺うと、Aさんご夫妻は昨日からの連泊で、今はどこかへ外出中だとのこと。それなら中に入るのは少し後にし、久しぶりに森の中の道を歩いて見ることにした。この辺りは軽井沢が別荘地として開発されてからは、古い方の部類に入る場所なのであろう、森の木々たちもかなりの大木となっている。所々小川が流れており、全く暑さを感じさせない、緑に浄化された大気が森を囲んでいた。30分ほど付近を散策した後保養所に戻り、チエックインを済ます。

部屋でしばらく休んでいると、16時過ぎにAさんご夫妻が戻られたようだった。久しぶりの奥さんのお顔を拝見して、相棒は少し戸惑ったらしかったが、話をしている内に落ち着き出したようだった。5年の歳月は短いようだけど、ほんの少しご一緒しただけの出会いだったので、思い出すのに時間がかかるのであろう。自分の方が戸惑いは少なかったようである。お互い入浴を済ませた後、夕食の時間までしばらくAさんの部屋で談笑する。5年間のブランクはあっという間に埋まった感じがした。

そのあとは食堂に行って夕食となる。Aさんが用意して下さったフランス料理をビールで乾杯した後、ワインを飲みながら存分に味わった。相棒の喜びの饒舌は途絶えることはなかったが、奥さんもそれに負けないように調子を合わせて下さったので、内心安堵した。美味なる料理を味わいながらの歓談は弾んで、所定の終了時刻ギリギリまで食堂を占有した。その後は部屋に戻り、再びAさんの部屋で遅くまで歓談する。Aさんの持参されたスイスでのトレッキング時の写真を見せて頂きながら、山や野草の花たちについての話は、夜遅くまで尽きることがなかった。

コメント
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