山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

湯の丸高原のレンゲツツジを見に行く

2017-07-15 17:08:26 | くるま旅くらしの話

 レンゲツツジといえば、自分の頭の中で直ぐに浮かぶのは、信州霧ケ峰高原と美ケ原高原です。この二つの高原は、花を見に何度も訪れているのですが、今年は夏が本格化した頃に涼を求めて短い旅をしようと考えており、レンゲツツジの方は見送ることにしていました。そのような時に、レンゲツツジの名所として湯の丸高原があるというのを知りました。湯の丸高原というのは、東御市にあり、上信越道を挟んで霧ケ峰とは反対の浅間山側にあり、スキーなどには全く関心のない自分には、今まで全く未知の場所でした。ネットを覗いていた時に、ふとそこのレンゲツツジのことが目に入り、一度訪ねておこうと思ったのです。

 何でもそうですが、花というのは林文子女史のおっしゃるように「命短い」ものなので、それを見るタイミングが重要です。最盛期を外すと折角膨らんでいた感動の予感が萎んでしまうことになります。ということで、いつ出かけたら良いのかを現地の開花状況等を見ながら、そのタイミングを計っていたのですが、丁度好さそうな時期には大雨の天気予報となり、それにこちらの都合なども絡んで、タイミングが少し遅れた感じの出発となってしまいました。最盛期でなくても、名所と言われている所なら、それなりに花を楽しむことができるのではないかと思いながらの来訪でした。

 一日目は行田市の古代蓮の里で、猛暑の中汗をかきながら優雅な花たちの姿を楽しんだ後、高崎市からR18に入り、久しぶりにそのまま道を辿って碓氷峠を越えて軽井沢にて小休止。ここまで来るとさすがに避暑地の味わいを思わせる涼しさがありました。軽井沢は標高が1000m近くありますから、行田市や高崎市などと比べれば、この時期は暑さに雲泥の差がある感じがします。この涼しさを体感してからは、今日泊りを予定していた道の駅:マルメロの駅ながと[長野県長和町]に行くのを止め、東御市にある道の駅:雷電くるみの里に変更することにしました。というのも、長和町の道の駅は四方を山に囲まれた小さな盆地の中にあり、標高は600mくらいあるのですが、恐らくこの分では相当に蒸し暑いに違いありません。東御市の道の駅:雷電くるみの里は温泉が付帯していないので、楽しみが減るのですが、こちらは標高が少し高くて湯の丸高原への登り口近くにあり、山裾なので涼しさに恵まれるのではないかと思った次第です。

 道の駅:雷電くるみの里に着いて驚いたのは、駐車場にトラックが多いことでした。大型を中心に40台ほどのトラックが、駐車場の半分くらいを占有して留まっていました。騒音に悩まされるのが嫌なので、少し離れた場所に車を止め、とにかく今夜はここに泊ることにしようと決めました。19時を過ぎると気温は20℃を切り、予想通りの涼しさがやって来ました。トラックの騒音も思ったほどではなく、まずまずの安眠を得ることができそうです。ビールで一杯やって、久しぶりの旅の一夜を送りました。

[ちょっと脱線] 

現在大相撲七月場所が開催されていますが、この地出身の雷電という力士は、史上最強の力士と言われており、その展示コーナーが駅舎の一角に作られていました。ちょいと雷電という相撲取りについて調べてみました。雷電という四股名の力士は他にも何人か存在するのですが、何といっても雷電と言えば、この東御市出身の雷電為右衛門という人が最高峰です。江戸中期の力士でその強さは、江戸本場所在籍36場所中の通算勝率が9割6分2厘というのですからまさに驚異的な強さです。往時は年2場所制ですから、36場所というのは18年ということになり、この間に負けたのはたった10敗というのですから凄いとしか言いようがありません。まさに大相撲史上未曾有の最強力士と言えます。その時から250年が過ぎた現在でも、この地の人たちが郷土の誇りと思う気持ちが解るような気がします。今の時代の相撲と往時とを安易に比較はできませんが、現在でいえば白鵬や少し前の大鵬といった力士を凌ぐ強さが評判の力士だったのではないかと思います。今の世の相撲は年6場所制となり、強さを発揮できないままに怪我などで志を無にする力士が多いのですが、年2場所というのならば怪我を治す時間も充分にあった筈。現在がもし2場所制だったなら、関取の地位メンバーの顔触れも大きく変わってくるような気がします。力士雷電展示館を覗きながら、雷電為右衛門の強さに最大の敬意を払いつつ、現在の相撲界のあれこれを想った次第です。

[※このように、旅の途中で出会った事柄について、好奇心を抱いて調べたり、予定を変更したりして、本来の旅の目的からズレた行動を拾うのも又旅の楽しさです。]

 [閑話休題]

翌日、下界はよく晴れた朝を迎えましたが、湯の丸高原の方は雲がかかっていて何も見えない状況でした。しかし、8時半の出発時刻近くになると雲が取れ出し、次第に暑さが膨らみ始めました。今日もかなり暑くなりそうです。レンゲツツジは待っていてくれるのかと、ちょっぴり不安を抱えながらの出発でした。

標高700mほどの道の駅を出発すると直ぐに湯の丸高原に向かう登りの坂道の開始です。高原の基地とも言える地蔵峠が1700mほどの高さですから、これから高度1000m近くを登ることになります。多少は息をつけるような箇所のある道なのかと登って行ったのですが、どこまで行っても急な登り坂ばかりで、23万kmも走っている我がSUN号の老体には、かなり応える道行きでした。時速30kmくらいで喘ぎながらの上りは、もっと若かったなら車を降りてSUN号を後ろから押してやりたいほどの厳しさでした。でもまあ、老体とはいえ、SUN号にも気骨はあるのでしょう、停まることなく無事に地蔵峠の駐車場に着くことができたのは幸いでした。

地図や案内図などを見る限りでは、地蔵峠からつつじ平までの道は、なだらかな様相なのだと勝手に想像していたのですが、着いて見ると目前に急な斜面のスキー場があり、つつじ平はどうやらそのスキー場を登った上の方にあるようです。これでは相棒はとても歩いて登るのは無理だと思いました。幸いスキー用のリフトが動いていましたので、これを利用させて貰うことにしました。往復の料金が800円でしたが、それをためらう余裕はありません。普段殆ど体力維持のための鍛錬などをしていない相棒には、気力だけのチャレンジは無理なのは理明のことです。スキーをやらない自分にはこのリフトは存外珍しい乗り物なので、数分の間相棒と一緒に高所恐怖のことも忘れて前方の景色のみを楽しみました。

リフトを降りて少し歩くと、そこがつつじ平でした。入口近くに開花状況を知らせる案内板があり、そこには「名残の花」の状況と書かれていました。どうやら最盛期は過ぎてしまっているようです。予想はしていたのですが、これはもう仕方がありません。仕切りのあるゲートを入って行くと、レンゲツツジの株が点在するつつじ平広がっていました。イメージしていたよりも規模は小さいように見えたのは、やはり花が最盛期を過ぎていて、鮮やかなオレンジ色の花が少なかったからなのかもしれません。どうやらここは放牧場の一角らしく、そこここに牛の糞が点在していて、足元注意の状況でした。なるべく元気そうな花の株を見つけて写真を撮ることにしました。高原の空気は涼しくて美味なのには救われました。

ツツジ平の全景。まだ花は残っていてくれたものの、やはり勢いを感ずるのは難しかった。正面の丸い形の山は湯の丸山。

レンゲツツジの株。もう3分以上の花が終わっている感じだった。この株は遅咲きなのかも。

レンゲツツジの接写。もう少し早く来れば、つつじ平全体がこの色に染め上がっていたのかもしれない。

写真を撮り終えた頃、近くに一羽の鶯がやって来てさかんに鳴き捲くるので気になり、注意して木の枝を見ていると、その姿を見つけることができました。鶯という鳥は、声は聞いてもその姿を見ることが滅多にできないのに、小枝に止まって身を震わせながら鳴いているが見えるので、これは何か特別サービスなのかなと思いました。写真に収めようとしても、こまめに動き回るので、なかなか収めることが叶わず、このような動くものを撮るのは難しいことを思い知らされました。レンゲツツジの方は少しがっかり気分でしたが、この鶯嬢の一連の鳴き声騒動に大いに救われた感じがしました。

ウグイス嬢ならぬウグイス君。右上の小枝に止まって山全体に響き渡る鳴き声を放っていた。

つつじ平からの下山は、再びリフトに乗って峠の駐車場に向かったのですが、下りは恐怖感がより大きくなり、これは歩いてゆっくり下るべきだったと思いました。恐る恐る覗いた下界は、牛たちが寝そべっている姿などが見られて、先ほどのウグイス嬢とは又違った鳥になった気分で怯えながらもそれらの風景を楽しみました。終わりかけたレンゲツツジの花の世界の、1時間足らずの探訪でした。

来るのが少し遅すぎた嫌いがあり、満面の笑みを浮かべているツツジたちの姿は見ることはできませんでしたが、それでも久しぶりにこの時期の山に来て、涼しさと合わせて澄んだ空気を目一杯吸うことができて満足でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする