山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

法師蝉の季節

2015-08-30 06:34:18 | 宵宵妄話

 つくつくと何を嘆くや法師蝉 惜しむもむなし このひと夏は    馬骨

 法師蝉が鳴き始めています。法師蝉の生命の時間は短く、せいぜい1週間ほどでしょうか。この蝉が鳴く季節になるとどんなに暑い夏でも、早や峠を越えて次のステージが近づいてくるのを感じます。

守谷辺りはまだかなり蝉たちが多く残っていて、6月のニイニイ蝉から始まって、アブラ蝉、ミンミン蝉と続き、朝夕に蜩の声が挟まり、最後に法師蝉が鳴き終えて、蝉たちの季節が終わることになります。しかし、よく耳を傾けてみると、年を経るごとにアブラ蝉を除く蝉たちの数は次第に少なくなっているようで、特にニイニイ蝉と蜩の数は少なく、今では特定の場所にしか残っていない感じがします。守谷市に農家の屋敷林が無くなった時がニイニイ蝉や蜩たちの消え去る時となることでしょう。その時が間近に迫っている感じがします。

今朝も歩いていると、法師蝉の声があちこちから届いており、哀愁の混ざるその声に耳を傾けていると、思わずあの蝉たちは何を訴えているのだろうか、などと考えてしまいました。その心境を歌にして見たのが冒頭の一首です。このような表現が適切なのかどうか判りませんが、法師蝉たちの鳴き声は、何だか今の世の行く先を嘆いているように聞こえて来て、老いの階段を歩みつつある自分にもその慨嘆が伝わってくるような気がしたのでした。

私は今の世を輝きを失った秋の終わりの季節にあるように捉えています。真夏を過ぎて残暑の勢いも少しずつ衰え始めていますが、それは地球の温帯における自然界の季節の移ろいの話です。しかし、人の世の移ろいの方は、もっともっと加速化しながら最盛期を過ぎた効率化社会が、必要の限界をはるかに超えた情報化社会のもたらす様々な疲弊現象を随所に突出させながら、人の心を衰退させ、やがて凍てつく冬に向かう秋の終末の様な季節感の中にあるように思われるのです。

この頃のニュースを見聞していると、人間の持つ異常性に起因するとしか思えないような犯罪が頻発しているようです。無差別、動機なしの殺人事件、身勝手な理由だけでの殺人や傷害事件、悪質性を拡大し続ける詐欺事件、テロという名の人類の破滅行動等々、日本国のみならず全世界で心魂を凍らせるような異常の極みの様な出来事が頻発しています。一々例を挙げるのもおぞましい気がします。

この先この国、この世界はどこに向かって進むのでしょうか。科学は、人間の心を置き去りにして、局部的な利益のために真実という禍を追求し続けるのでしょうか。この世が生き物としての安全と安心の方向へ進んでいるとは思えず、過去に何度も体験した愚行を、飽きもせずに繰り返そうとしているように思えてなりません。

やっぱり、生き物としての本能というのは、他との協調や共生・共存などではなく、自己本位に尽きるのかもしれない。そのように思えてならない今の世の動きです。平和・平等・友愛は、一時は真実性のあったことばなのかもしれないけど、今は飾り言葉の虚しさを感じます。

悲観的な愚痴は老人の常とはいえ、この頃の報道を見聞していると、随所にこの世の行く先の暗い予兆を覚える出来事ばかりが伝わって来て、この様な状態で、果たして孫の世代まで持つのかと、心配が膨らみます。法師蝉は早くもそのことを見抜いて、我々に警告しているような気がするのです。

コメント
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