湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

片山哲という政治家

2014-12-30 12:43:23 | Weblog
私は、たまたま、父の友人の父親ということで
政治家片山哲について調べてみました

私は、片山哲について
戦後間もなく、短期間、総理大臣をやった政治家であることは知っていました
そして、正直なところ、大した政治家ではないと思っていました

ところが、ちょっと調べただけで
実は、とてつもなく偉大な政治家だったのではないか?
と思うようになりました

片山内閣は10ヶ月程度の短命内閣です
保革同居の寄り合い所帯で、分裂し、政策を通すことが難しかったからです
しかも、占領下であったため
連合国総司令部からの指示を拒否することができませんでした

片山内閣は

「くず哲」

とまで評されてしまいました

しかし、その片山内閣は
公務員を公僕とさだめた「国家公務員法」や
「労働組合法」、「健康保険法」などを制定し
労働省、各種公社、公団を設立したのです

その他にも、戦後日本の政治制度の骨格となるような制度を作り上げました
特に、戦後日本人の生活に直結した社会制度の基礎を作り上げてしまったのです

戦後の日本の政治は、吉田茂の路線が主流となりました
アメリカの意を受け、それを隠蔽しつつ、政策とする
自衛隊から、最近の消費税増税に至るまで・・・全てこれです

片山内閣以降、数十年間、日本では社会主義政権は存在していません
もし、片山内閣の10ヶ月が無ければ
日本には健康保険制度すら存在しなかったかもしれないのです

アメリカには、健康保険制度は存在しません
クリントンやオバマなど、民主党政権は
何度も、これの実現を試みましたが、いまだ実現していないのです

片山内閣は、新憲法の下、最初の衆議院選挙で成立しました
首班指名選挙での獲得票は

片山哲420票、吉田茂1票、齋藤晃1票

というものでした
2位に419票差を付けた首班指名選挙の結果は
未だ破られない記録だそうです

片山哲は、吉田茂率いる自由党も含め
共産党を除く挙国一致内閣をめざしていました
ところが吉田茂がこれに協力せず、大臣の任命もままなりませんでした

そこで、なんと!
片山哲は、すべての閣僚を自分が兼務する

「一人内閣」

として、政権をスタートしたのです

恐るべき男です

片山哲は、戦前には軍部の暴走を批判し
戦後は、アメリカのいいなりにはならず
一方で、共産主義とも敵対しました
いつも、日本人の、とりわけ労働者大衆の立場に立ち
偏狭な国粋主義者ではなく
世界連邦の理想を実現しようとしたキリスト教徒でした

私は、機会をつくり
片山哲のことを、もっと調べ
この偉大な政治家の評伝を書いてみたいと思いました
思想信条としては、私は彼に共感できない部分もありますが
理想を実現するために生きた、その生涯は
”偉大な男の人生”と評価すべきものだと思うからです
コメント (7)
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