湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

片山哲の息子・・・父の記憶

2014-12-29 15:43:00 | Weblog
父の湘南中学時代の仲の良い同級生に
片山民夫という生徒がいました

机は隣同士、武道の選択は柔道で同じ
勉強も柔道も一緒にやり、そして・・・叱られるのも一緒でした

ある時、片山君と二人、廊下に立たされていました
そこを校長先生が通りかかり
校長は父に聞きました

「君の父親は何をしている?」

父は答えました

「農業をしています」

校長はフムと頷いただけで、同じ質問を片山君にしました

「政治家の片山哲です」

片山君の返答を聞いた瞬間、校長は直立不動となり

「カ・・カ・・カタヤマ テツ センセイ カ?」

と聞いてきたそうです

自分達が叱られているのに
まるで校長が叱られているように見え
父は”片山の親父はそんなに偉いのか?”と思ったそうです

片山君は政治家片山哲の息子だったのです
父は、片山君の家に行ったことはないそうですが
伝え聞くところでは、とても質素な生活をしているとのことで
そんな大物政治家の息子とは思わなかったようです

父は中学卒業後、日大農学部予科に進みます
片山君も同じでした
当時の日大農学部は、4年間の徴兵猶予があったため
大変な競争率だったそうです

日大に進学しても、授業はありませんでした
学生は”動員”され、父は厚木飛行場で働かされていました

天皇陛下の終戦の詔勅、いわゆる”玉音放送”を
父は、日大の超短波ラジオで聴いたため
鮮明な音で、意味もよく理解できたということです

父は終戦と同時に大学をやめました

戦後に、片山君に会った時には

「親父を頼むよ」

と、言われたそうです

ちょうど選挙の最中で
片山君からは父親の選挙応援をたのまれたわけです

「そしたらいきなり総理大臣だもんな、驚いたよ」

この時の選挙で、日本社会党は第一党となり
民主党、国民協同党などと連立を組み
党首片山哲は、首班指名をうけ、内閣総理大臣となったのでした

戦後のクラス会で会った時
片山君はアメリカに留学すると話していました
それきり、音信は途絶え、クラス会などにも出てこないため
彼がその後どうしているのか、まったく分からないということです



コメント (7)
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