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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

因果論あるいは科学

2013年10月26日 | xxx6目的の起源

Gustave_moreau_sphynx ところが一方、因果論(あるいは場の理論 )による世界の描写(自然主義)を採用するならば、人間の身体といえども因果関係にしたがう物質現象によって自然に動いているわけだから、自分の思考を含めて身体の状態の現状は、そうなる直前の身体の状態とそれに影響を与える周辺環境の状態とを原因として物質の法則によって決まる結果が現れることで実現している、ということになります。

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哲学的疑問

2013年10月25日 | xxx6目的の起源

そうなってくると、今度は、私が存在するからには、私というものは目的を持っているはずだ、私の存在の目的は何か、人生の目的は何か、というような哲学的疑問が生まれてくるわけです。

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私が存在する

2013年10月24日 | xxx6目的の起源

Gustave_moreau_salome_2 実際、私たちの言語の構造がそうなっているからです。言語を使うことで私というものの存在が現れてくる。言語を使う瞬間、私という存在を認めざるをえない。そうして「私が存在する」という言葉を使うことによって、自然に、私が存在すると感じられることになります(拙稿12章「私はなぜあるのか?」 )。

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反自然主義

2013年10月23日 | xxx6目的の起源

目的論・意図的行動により世界を描写する理論(反自然主義という)を採用するならば(実際私たちは日常この理論を使って会話していますが)、私の身体が動いているのは当然それをだれかが意図を持って動かしているはずだ、ということになります(拙稿21章「私はなぜ自分の気持ちが分かるのか? 」)。そのだれかは私と呼ばれるものだ、と私たちは思います。

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自由意思

2013年10月22日 | xxx6目的の起源

Gustave_moreau_prometheus 人間は意志を持って自由に自分の身体を動かしている、という自由意思による人間観は生まれつき私たちの感覚に埋め込まれているようです。またこのような感覚が万物を対象に拡張された目的論的世界観は、霊長類共通の認知機構を基礎とする人類の生得的機構であるとみることができます(一九五七年 エリザベス・アンスコム『意図』既出、一九八七年  ダニエル・デネット意図的観点』既出)。拙稿の見解では、この認知機構が言語の基礎になっている(拙稿18章「私はなぜ言葉が分かるのか」 )。また同時にこの機構が、次に述べるように、私という存在の基盤にもなっていると思われます。

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