哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

伊能忠敬の空間

2011年10月26日 | xx7私はなぜ空間を語るのか

Godwardvenus2 伊能忠敬 が日本地図を作製したとき、日本列島がどんな形をしているのか、地図が完成するまで誰も分かりませんでした。測量隊が歩いている山や海岸の形は目で見て分かるけれども、大きな地域の全体像は地図ができて初めて分かる。大きな地図は、毎日歩ける範囲の地形を何日分も作図して継ぎ足していって描いていくものだからです。精密な日本全図ができてしまうと、もう自分が立っている場所がどういう位置であるか、周りにはどういう空間が広がっているのかが直感ではっきり分かるようになります。

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拝読ブログ:いざ 行かん!ー伊能図の旅へ

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左右対称形動物の空間積算能力

2011年10月25日 | xx7私はなぜ空間を語るのか

動物が身体を移動すると身体と接する地面が相対的にずれていきます。また周囲の風景がずれていきます。進行方向を変えると体軸と太陽方向の角度が変わります。風景も回旋します。さらに筋肉にかかる抗力の履歴も記憶できます。これらの連続的な記憶を脳内で(ユークリッド空間のベクトル積分として)積算していくとユークリッド空間が生成されます。多くの昆虫や脊椎動物など左右対称形動物はこのような空間積算能力を備えた神経機構を持っていて、帰巣性の動物は特に、巣の周辺などの地理を作り出し、記憶しています。

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水素分子と身体回転

2011年10月24日 | xx7私はなぜ空間を語るのか

Godwardvenus1 ごく小さい、原子の世界について考えるときも、巨大な銀河について考えるときも、私たちは、実は、自分の身体を動かすことを想像することで考えています。たとえば水素分子の回転について考えるときも、あるいは巨大な銀河の回転について考えるときも、私たちはその物体を手にとって指でひねる場面を考える。つまり指をどうひねるか?指の運動感覚で抽象的な回転を直感しようとします。

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動作手順→空間構造

2011年10月23日 | xx7私はなぜ空間を語るのか

空間について語り合うとき、私たちはお互いに共鳴できる運動を使って語ります。たとえば「まず私の立っている所へ来てください。そこから私が見ている方向へ10メートル進んでから左を向いて20メートル進みます。・・・」などと言って空間の位置を示すことができます。

つまり私たちはその空間に身体を移動させる動作について語っていきます。動作の順序に従って移動の手続きを述べていくことで、空間の構造を語ります。空間の位置を示すときはその位置に至る移動の過程を語ることで位置を示します。

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言葉と空間

2011年10月22日 | xx7私はなぜ空間を語るのか

Godwardv 文系人間は言葉がよく分かるのに対して、理系人間は空間がよく分かる、などと言われます。こういう比較がよく使われるということは、言葉と空間とがそれぞれ別の感覚で捉えられるものと思われているからでしょう。言葉と空間というものは、このように、互いに関係がなさそうに思われがちですが、実は深い関係があります。私たちが空間について考えるときは(拙稿の見解では)、結局は、だれかとそれについて語り合う場合です。書きものとして書いているときも読者に語っています。一人で考えているときでも、私たちは自分自身と語り合っています。つまり、私たちが空間についてはっきりと考えているときは、言葉を使うときです。

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拝読ブログ:非日常の空間。

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