私たちが、現実1と現実2と現実3の区別がつかずに全部ひとつのものだと思い込んでいれば、私たちの日常生活では、まったく問題はない。また、三つとも、ひとつの現実を違う角度から見ただけだ、と思えれば、それでも問題はない。
しかし、残念ながら、そういう便宜的な考えは間違いであることを、拙稿は述べてみました(拙稿6章「この世はなぜあるのか?」、12章「私はなぜあるのか?」)。
(以下、拙稿の見解によれば)客観的物質世界(現実1)には、たとえば、物質としての私の身体はあるが、私が私と思っているような特別の私はいない。したがって、自分が死ぬということは意味がない。同時に、生きているということも意味はない、となってしまう。また、私中心の世界(現実2)には、客観的な存在はないから、客観的な物質もなく、自分というものも他人というものもない。心を持った人間はいない。さらに、他人に乗り移ってその目で見た世界(現実3)には、人間の一人としての自分はあるが、それはどの人間とも交換できるような単なる一人の人間であって、特別な自分というものはいない。
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