このように現実を詳しく調べていくと、複数の現実があって、それぞれの現実は互いに矛盾する。私たちのふつうの常識では、複数の現実を混同して一つのものと思い込んでいる。それでも毎日の生活には困らない。ふつうは矛盾を感じないで過ごしていけるが、たまに混乱が起こる。たとえば、私とは何か、と考え込むと混乱が起こる。どの現実の中にも、その一つの現実に徹すれば、私が私と感じられるような私はいない。複数の現実にまたがった私がいると思うときだけ、私はいる。ところが、それぞれの現実は矛盾している。現実がひとつではなくいくつもある、というのもおかしい。そこに、私が私を感じるときの違和感が生じる。
またたとえば、古来、宗教や哲学が得意とする死の問題なども、自分と世界の表れ方に関する複数の現実を混同するところからくる混乱です。死に関する神秘は哲学的な問題のように見えるけれども、実は一種の擬似問題です(拙稿15章「私はなぜ死ぬのか?」)。脳神経科学や心理学や哲学で問題とされる意識の問題も(拙稿の見解では)その類の擬似問題です(拙稿9章「意識はなぜあるのか?」)。また、物理学の基礎論に関して提起される宇宙の起源や時間の果て、宇宙の果てなど時間空間の存在問題も現実や存在に関する混乱から生まれる擬似問題とみなせます(拙稿13章「存在はなぜ存在するのか?」)。
拝読ブログ:某コンビニではみんな経営について語りだすらしい
拝読ブログ:存在の虚無感