このたびの震災では、多くの人々が亡くなられました。
痛ましいかぎりです。
仏教、わけても浄土宗や浄土真宗では、念仏修行によって極楽往生できると説きます。
臨終の折には、極楽浄土から清らかな人が蓮の花に乗って迎えにきてくれるとか。
そうだとしたら、東北地方から関東地方にかけて多くの蓮の花が迎えに着たことでしょう。
源信は「往生要集」に極楽往生の十の楽しみの一つに、このお迎えを挙げています。
関係ありませんが、私の職場では定年退職を迎えることをご赦免舟が迎えに来た、と言います。
それは絶望的なまでに長いサラリーマン生活に終わりを告げる嬉しいお迎えという感じを実感させる洒落た表現です。
源信は最大の楽しみを、極楽浄土で仏と合一することとしています。
もし本当に極楽往生でき、仏と合一できるのなら、死は楽しみであるはずですが、多くの人にとって死は未知であり、恐怖の対象です。
その恐怖を和らげるための方便が、極楽往生や天国を説く様々な教えだとしたら、ずいぶんひどい詐欺だとしか言いようがありません。
源信の臨終は、阿弥陀仏の手から五色の糸がでて、その糸を手に取りながら眠るように逝ったそうです。
死という未知の事態に関して、私たちは全くの無知です。
死んだら終わりであっても、極楽や天国があるのであっても、じつは生きている私たちのあずかり知らぬところです。
私たちはただ、日々を、幸福感をもって生きられるかどうか、それだけが関心の内。
死後のことは案の外。
今日と明日幸福であれば、明後日のことは知りません。
今とごく近い未来、これを幸せに過ごせなければ、幸福など永遠に望めますまい。
往生要集〈上〉 (岩波文庫) | |
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