ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

往生

2011年04月13日 | 思想・学問

 このたびの震災では、多くの人々が亡くなられました。
  痛ましいかぎりです。

 仏教、わけても浄土宗や浄土真宗では、念仏修行によって極楽往生できると説きます。
 臨終の折には、極楽浄土から清らかな人が蓮の花に乗って迎えにきてくれるとか。
 そうだとしたら、東北地方から関東地方にかけて多くの蓮の花が迎えに着たことでしょう。
 源信「往生要集」に極楽往生の十の楽しみの一つに、このお迎えを挙げています。
 
 関係ありませんが、私の職場では定年退職を迎えることをご赦免舟が迎えに来た、と言います。
 それは絶望的なまでに長いサラリーマン生活に終わりを告げる嬉しいお迎えという感じを実感させる洒落た表現です。

 源信は最大の楽しみを、極楽浄土で仏と合一することとしています。

 もし本当に極楽往生でき、仏と合一できるのなら、死は楽しみであるはずですが、多くの人にとって死は未知であり、恐怖の対象です。 
 その恐怖を和らげるための方便が、極楽往生や天国を説く様々な教えだとしたら、ずいぶんひどい詐欺だとしか言いようがありません。

 源信の臨終は、阿弥陀仏の手から五色の糸がでて、その糸を手に取りながら眠るように逝ったそうです。

 死という未知の事態に関して、私たちは全くの無知です。
 死んだら終わりであっても、極楽や天国があるのであっても、じつは生きている私たちのあずかり知らぬところです。

 私たちはただ、日々を、幸福感をもって生きられるかどうか、それだけが関心の内。
 死後のことは案の外。
 今日と明日幸福であれば、明後日のことは知りません。
 今とごく近い未来、これを幸せに過ごせなければ、幸福など永遠に望めますまい。

往生要集〈上〉 (岩波文庫)
石田 瑞麿
岩波書店
往生要集〈下〉 (岩波文庫)
石田 瑞麿
岩波書店

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女子会

2011年04月13日 | お笑い

  近頃、よく女子会という語を耳にします。
 平たく言えば、野郎禁止で、女ばかりで飲食や旅行を楽しもうという素敵な寄り合いのことのようです。
 これ、子供のころは大抵誰もが女子会、男子会の毎日だったように思います。
 男の子は男の子同士、女の子は女の子同士で遊んだものです。
 また、専業主婦も毎日が女子会なのではないでしょうか。
 誰それちゃんのママと何々君のママ、といった具合にママ同士で寄り集まる。
 女子会というと、働いているいい年をした女性がわざわざ行うもの、という印象があります。

 女だけだと気兼ねがないとか、本音が言えるとか、恋の話や下ネタ話ができるとか、様々な特典つき。
 近頃では飲食店の多数がこの女子会なるものに目をつけて、売上アップにつなげようという算段をしています。
 抜け目ないですねぇ。
 しかし中には本当は噂話や人の悪口ばかりの女子会なんて大っきらい、だけど、出席しないと自分の悪口言われちゃうからイヤイヤ出ている、というまともな女性もいるやに聞きます。

 悪口などいくら言われたって、私の耳には入らないし、入ったって放っとけばよいのでどうでもいいことです。
 面と向かって文句を言われたら堂々と反論できるので、いつでもかかってきなさい。

 君子の交わりは淡きこと水のごとし。
(荘子)

 犀の角のようにただ独り歩め。
(スッタニパーダ・原始仏典)

 この世はどう生きたって孤独。
 結婚しても、子供を持っても、親友を得ても、どう生きたって孤独。
 
 女子会に限らず、はかない他人との交わりを制限して、おのれの心中深く分け入ってみるべきでしょう。

 私は精神科医の勧めもあって、職場復帰してから約一年、一度も職場の宴会に出席していません。
 お世話になった方の送別会や、これから一緒に働く上司や後輩の歓迎会でさえ。
 そのような行動は組織では嫌われることは明らか。

 でも私は嫌われても構わないのです。
 なんだかそういうことははるか昔にやっていた子供の遊びのようなもの。
 私は新しい世界に突入してしまったようです。

 私としては、女子会と同じように珍妙に見られてしまう、一人焼き肉や一人フレンチフルコースのような、難易度の高いお一人様を楽しむ女性とお話してみたいものです。
 女性が群れているのは、私には気持ちのよいものではありませんから

荘子―古代中国の実存主義 (中公新書 (36))
福永 光司
中央公論新社
ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)
中村 元
岩波書店

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子供の脳死

2011年04月13日 | 思想・学問

 国内で初めて、15歳未満の子供の脳死が認められ、遺族の意思により、臓器が提供されることになりました。
 遺族が言うには、息子は臓器移植を拒否するような意思表示はしていなかった、と頼りないことを言っています。
 つまりはほぼ100%遺族の意思だということでしょう。

 脳死が死と認められ、死んだけど生きている臓器を、臓器移植を望む患者に移植して患者の寿命を一定程度伸ばす。

 このことに私は非常な違和感を覚えます。

 脳死が人の死であることは、欧米諸国では当たり前になっているとか。
 しかしわが国では、人の死をもっとゆるやかにとらえています。
 息が止まって冷たくなっても、48日間はこの世とあの世の境目、中有の闇を彷徨っているとか。

 脳が機能を停止したからといって、その体を切り刻むのはいかにも残酷です。

 一方で、移植によって生きられる命があるのもまた事実。
 命をめぐって損得勘定が始まります。

 いやですねぇ。

 誰かが死んだら自分が助かるなんてねぇ。

 だから私は、臓器を提供しない、という意思を明確にしたカードを常に持ち歩いています。

 閻魔さまの前に出て「おめぇ、なんで心臓ないんだ?」なんて言われたくありません。
 
 もし移植を受けなければならない患者になった場合どうでしょう。
 断固移植を拒否するかどうか、矛盾しますが自信はありません。
 わが身可愛さに豹変するかもしれません。
 
 私の望みは、生体移植よりも生存率の高い人工臓器が開発され、それを使った移植手術が一般的になること。
 そうすれば、誰も他人の臓器を体に入れて生き延びようとは思いますまい。

子どもの脳死・移植
杉本 健郎
クリエイツかもがわ

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レベル7

2011年04月13日 | 社会・政治

 唐突に、放射能災害のレベルが5から7に引き上げられましたね。
 レベル7といえば、悪名高いチェルノブイリ事故と同じレベル。
 わが耳を疑いました。
 チェルノブイリでは30名近くの作業員が直接被爆して亡くなったと聞いています。
 本当に福島もそんな状況なのでしょうか。

 で、よく新聞を読んでみると、一か月前、事故直後に一時的にレベル7の基準を超えただけで、現在は放射線量は事故直後の一万分の一程度に下がっているというではありませんか。

 つまり、一か月前に遡ってレベル7を出したということ。
 遅すぎやしませんか?

 知ってて引き上げなかったのか知らなかったのか知りませんが、どっちにしても大災害に対する対応としては頼りないですねぇ。
 こういうことがあると、他にも後手に回っていることがたくさんあるんじゃないかと邪推してしまいます。

 今になって、一か月前レベル7の基準を超えていました、とアナウンスすることは、これから重大な局面を迎える喫緊の危機が迫っているものと、私は解釈します。
 そうでなければ意味がありません。
 おそらく諸外国もそう判断するのではないでしょうか。

 それならそれで、どういう危険が迫っているのか、説明してくれないと。
 大本営発表よろしく都合の悪い情報は流さないなんてことにならないように、お願いしますよ。

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