今日会った業者の若者、ずいぶんひどい吃音でした。
しゃべらんでよろしい、と思うほど。
私はこれまで、小学生のころ一人、大学のころ一人、ひどい吃音者を友人に持ちました。
鶏が先か卵が先か、二人とも女性が極端に苦手でした。
小島信夫に「吃音学院」という短編があります。
吃音矯正施設での、恋あり、犯罪ありのドタバタ・コメディーですが、小島信夫自身が吃音だったということもあり、障害を負った者の悲しみが底流に流れていたように思います。
吃音矯正施設では、女性が苦手な主人公が同じ吃音者の女性と付き合うことで、吃音をも女性恐怖をも克服しようとします。
彼には吃音ながらプレイボーイのライバルがいます。
言葉が出ない分手が早いんだそうです。
この三角関係を軸に、盲滅法電話をかけて喋ったり街頭で怒鳴ったりの吃音矯正、それに吃音矯正所の指導者の裏の顔などがちらついて、ドライな感じがよく出ています。
私は高校三年生の時は選択科目の関係で女子生徒40人に対し男子生徒5人のクラスだったり、大学も文学部のためか女性が多く、採用された職場も女性が多いため、女性恐怖というのは理解できません。
男だ女だと意識する前に、同じ人間だと思えば、恐怖もなくなるでしょう。
しかし吃音という悩みと女性恐怖が絡まると、風邪をこじらせたみたいな重症にもなりましょう。
私が抱える双極性障害というのは、薬なしにはまともな社会生活を送れないもので、苦しみながらも服薬の必要がない吃音とはちょっと違うかもしれませんが、メンタル面の苦悩という意味では共通点があると思います。
たとえば、吃音がなくなることを目指すのではなく、吃音があっても普通に日常生活が送れるようになればよい、双極性障害があっても、薬を飲みながら日常生活がおくれればよい、という意味において同じです。
健康は数値で測るものではなく、ハッピー感をもって生き生きとしていられれば健康だし、コミュニケーションは吃音があるかどうかが問題ではなく、意思の疎通が図れればよい。
物事をそんな風に鷹揚に見られれば、私もずいぶん楽になるんですが。
殉教・微笑 (講談社文芸文庫) | |
千石 英世 | |
講談社 ←「吃音学院」が所収されています。 |