明治初期の英語通訳というと、なんとなく西洋かぶれしたイメージがありますね。
しかし、ある日本人の青年通訳は、英語を習得しながらもキリスト教をはじめとする西洋文化に馴染もうとせず、英国婦人を相手に「東洋思想に比べれば西洋思想など2,3日前に生まれた赤子のようなものだ」、と傲慢に言い放ちます。
その通訳は明治初期に東京を出発して北海道まで旅したイザベラ・バードの従者でした。
イザベラ・バードは従者の非礼を責めましたが、従者は「今後気を付けます。しかし私は牧師の礼儀作法を真似したにすぎません」と言って恥じなかったと言います。
下関事件の講和会議時の高杉晋作は、英国公使パークスの通訳、アーネスト・サトウから「魔王の如く傲然として見えた」と評されています。
負けた側なのに。
明治初期の日本人は傲慢なほどに堂々としていたんですねぇ。
江戸末期の侍の写真なんか、判で押したように険しい顔をしています。
一方、明治10年に両国花火大会に屋形船で繰り出した大森貝塚発見者のモースは、西洋だったら怒声が飛び交うような混雑のなか、「アリガトウ」と「ゴメンナサイ」しか聞こえず、みな笑顔だったことに驚き、日本人が西洋人を南蛮人といって見下すのも理解できる、と記しています。
これなんかは、今回の震災での被災者の冷静な態度に通じていますね。
イザベラ・バードは北海道に渡り、アイヌの集落にしばらく留まります。
ここで面白いのは、イザベラ・バードが、アイヌ人の毛深くて彫りの深い容姿や、靴のまま家に上がること、ベッドがあることなどから、アイヌ人は日本人よりもヨーロッパ人に近い、と記し、それに比べてこの日本の青年通訳の何と醜いこと、とまで記していることです。
通訳は逆にアイヌを犬畜生と同じ獣と言い放ち、敬意をもって接するバードが理解できない風です。
欧州の白人・日本人・アイヌ人が、それぞれ複雑な感情を持ち、差別感であったり敬意であったりを抱いていることは、今なお人種差別が残る国際社会において、興味深い事実です。
しかしバードは、アイヌ人は滅びゆくだろうと実感したそうです。
それはキリスト教の教えを持たないがゆえに滅びて行ったヨーロッパ辺境の諸民族と同じ理由からだと述べています。
バードはキリスト教の教えを持たないわが国がなぜ急ピッチで文明開化を推進し得ているのか、最期まで分からなかったようです。
そして従者=奴隷であるはずの通訳が、なぜ主人である自分と対等な態度を見せるのかも。
伊藤、とだけ名が残っているこの通訳、その後どんな人生を送ったかは知れませんが、きっと終生誇り高く、傲慢であったのでしょう。
カッコ良いですねぇ。
それほどまでにキリスト教は欧米人の頭に染み付いているのですねぇ。
私たち北東アジア人でいえば、無常観みたいなものですかねぇ。
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イザベラ・バードの日本紀行 (上) (講談社学術文庫 1871) |
時岡 敬子 | |
講談社 |
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イザベラ・バードの日本紀行 (下) (講談社学術文庫 1872) |
時岡 敬子 | |
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モースの見た日本―セイラム・ピーポディー博物館蔵モース・コレクション/日本民具編 |
小西 四郎,田辺 悟 | |
小学館 |