goo blog サービス終了のお知らせ 

スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

京急電鉄賞京浜盃&感情論への適用

2025-03-27 11:08:29 | 地方競馬
 昨晩の第48回京浜盃。強風の影響で東北新幹線が運休したため山本聡哉騎手が移動できず,プレミアムハンドは笹川騎手に変更。
 好発はオンリーユーズドだったのですがすぐに下げ,その内のリコースパローの逃げに。リードは2馬身。2番手にアメージングで3番手はナチュラルライズとハッピーマン。3馬身差でナイトオブファイアとウィルオレオールとページェント。8番手にシビックドリーム。6馬身差でプレミアムハンド。4馬身差でオンリーユーズドとソルジャーフィルドとフレンドローマ。4馬身差でカセノタイガー。3馬身差の最後尾にバブリングストーン。ミドルペースでした。
 3コーナーを回るとアメージングはリコースパローについていくのが大変になってきました。内を回ったのがナチュラルライズで外から追ってきたのがハッピーマン。直線に入ると内を回ったナチュラルライズがリコースパローの外にもち出し,並びかけて前に出るとそのまま抜け出して楽勝。リコースパローが逃げ粘って6馬身差で2着。最終コーナーはやはり内を回って外に出てきたナイトオブファイアが3馬身半差で3着。後方から大外を追い込んだソルジャーフィルドが1馬身4分の1差で4着。
 優勝したナチュラルライズは重賞初勝利。デビューから連勝した後,前走の全日本2歳優駿は4着に負けていましたが,これは小回りを苦にした印象が強く,巻き返しが可能とみていました。楽勝になったのはタイムが早かったからで,この時計で走ることができる馬がほかにはいなかったということでしょう。ですからダートクラシックの路線では主役級だと思います。父はキズナ
 騎乗した横山武史騎手と管理している伊藤圭三調教師は京浜盃初勝利。

 スピノザの人間中心主義は,人間原理で考えるがゆえの人間中心主義で,自己の利益suum utilisを追求するということは人間にだけ特有のことではありません。ただスピノザは人間に対して人間について語るわけですから,それ以外のものの利益について詳細に語る必要がありません。このことがスピノザの思想の中に人間中心主義を感じさせる大きな要因となっているのだろうと僕は思います。つまりこの人間中心主義は,自然中心主義の一部をなすのであって,一方で思想については人間原理で語りますから,人間中心主義が強く出てくることになるのです。
                      
 このような観点の人間原理で感情affectusを論じると,感情を必要以上に人間に限定してしまうことになると僕は思うのです。人間原理ですから人間の感情について説明すれば十分であって,人間以外のものの感情について論じる必要はありません。これはその通りであって,確かにスピノザは馬に情欲libidoという感情があることは認めていますが,それは感情論の中で語られているわけではなかったのでした。それと同様に,人間原理では人間を対象objectumとした感情を考察することが重要になるという意識がスピノザにはあったのではないでしょうか。第四部定理四五備考でいわれているように,憎しみodiumのうち人間の人間に対する憎しみに限定して論じることはとても重要であり,これは同時に人間以外に対する憎しみもあるということをスピノザが認めていた証拠ではあるのですが,そうした人間以外のものに対する憎しみは,感情論において語る上では,人間に対する憎しみに対して軽んじられているとみることができないわけではありません。これと同じような姿勢が僕が示した好意favor,憤慨indignatio,買いかぶりexistimatio,みくびりdespectus,ねたみinvidia,同情misericordiaといったような諸々の感情に適用されているのではないでしょうか。そしてこの姿勢はたぶん感情の模倣imitatio affectuumにも適用されているのであって,したがってスピノザはたぶん僕たちが人間以外のものの感情を模倣するということは想定していないだろうと僕は推測するのです。しかし実態は違っていて,吉田が指摘しているように人間は人間以外のものの感情も模倣しますし,それはスピノザの哲学の論理的帰結でもあるのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする