スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

サトノクラウン&主体なき悪

2023-06-05 19:28:41 | 名馬
 日本ダービーを勝ったタスティエーラの父はサトノクラウンです。
 2歳の10月にデビューして新馬を勝つと続く東京スポーツ杯2歳ステークスで重賞を制覇。十分に賞金を稼いだので休養に入りました。
 3歳初戦の弥生賞も制して重賞2勝目。皐月賞は1番人気に推されましたが,同じ厩舎のドゥラメンテの6着。ダービーもドゥラメンテの3着でした。
 秋は天皇賞(秋)にぶっつけで出走。これはラブリーデイの17着に大敗。
 4歳初戦の京都記念を制して重賞3勝目。遠征したクイーンエリザベスⅡ世カップは12着と大敗。帰国して出走した宝塚記念は6着でした。
 この年も天皇賞(秋)で復帰。これは同じ厩舎のモーリスの14着。しかし再び遠征した香港ヴァーズを勝って大レース初制覇を海外で達成しました。
 5歳初戦の京都記念で連覇を達成して重賞5勝目。大阪杯キタサンブラックの6着でしたが宝塚記念を勝って大レース2勝目。
 また天皇賞(秋)で復帰してキタサンブラックの2着。ジャパンカップは10着,有馬記念がキタサンブラックの13着でした。
 6歳初戦は遠征したドバイシーマクラシックで7着。帰国して出走した宝塚記念は12着でした。
 秋はジャパンカップで復帰。9着に敗れて現役を引退しました。
 大レースは2勝していますが,大敗も多く,超一流の成績を残した競走馬ではありません。ダービー馬が輩出したように,基本的に中距離から長距離向きの産駒が多くなると思われます。

 理性ratioによって害悪を与えたり親切にすることを断念するとすれば,受動感情によってそうする場合と異なっていると考える必要があります。なぜなら,第四部定理三五にあるように,理性に従う限りでは人間の現実的本性actualis essentiaは一致するからです。だからたとえばAという人間が現実的に存在していたとして,AはBを憎んでいるけれど,理性に従うことによってBに害悪を与えることを断念したということが生じたとしても,それがAであることに何らかの意味があるとすれば,そのときにAは理性の指示に従ったということ,いい換えればその限りにおいてAは自由の人homo liberであったということであって,Bに害悪を与えることを断念したことではありません。理性の指示に従うとすれば,すなわち自由の人でありさえすれば,だれであろうと憎しみのゆえに害悪を与えるということについては断念することになるからです。
                                   
 ここから理解できるように,もし理性が何らかの意味で悪malumを認識するcognoscereのだとすれば,それは認識したその人間にとって悪であるということを意味するのではありません。それは現実的に存在するすべての人間にとっての悪であって,とくに現実的に存在する人間が理性に従っている限りにおいての悪なのです。よって,理性が何らかの意味で悪を認識するという場合は,だれがそれを認識するのかということは問う必要がありません。このことは主体subjectumの排除と関係していることはいうまでもありません。いい換えれば,理性が何らかの意味で悪を認識するといわれるときの悪は,ある特定の主体にとっての悪というわけではないので,主体が排除されたような意味での悪です。第四部定義二は,悪とは現実的に存在する人間が確知するcerto scimusものであるといっていますが,だれが確知するのかということをこの場合は気に掛ける必要はありません。また,第四部定理八は,意識された限りにおいての悲しみtristitiaを悪といっていますが,理性が何らかの意味で認識するような悪は,現実的に存在するすべての人間が同じように感じる悲しみであることになります。いい換えれば第三部諸感情の定義三により,すべての人間が大なる完全性perfectioから小なる完全性に移行することになります。
コメント
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