スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

岡田美術館杯女流名人戦&空虚

2024-02-29 19:31:08 | 将棋
 2月25日に大聖院で指された第50期女流名人戦五番勝負第四局。
 福間香奈女流四冠の先手で中飛車。後手の西山朋佳女流名人が向飛車にしたところで先手は2筋に飛車を戻しました。先手は9筋の位を取り,後手が香車を上がって穴熊を目指したところで仕掛けていく将棋。飛車を戻して9筋に2手をかけていますから急戦はあまり得策とは思えないのですが,ここで戦いになれば後手が香車を上がった手は無駄になるので,成立はしていたようです。後手はもう少し備えてから穴熊を目指した方がよかったのかもしれませんが,仕掛けそのものにはうまく対応しました。
                                        
 ここで☖4九龍としたのですが,これが疑問だったように思います。☖同龍として☖4八とを狙っていけばまだまだ戦えたのではないでしょうか。
 先手は☗4五桂と打ちました。たぶん後手はこの手を軽視していたのではないかと思います。☖4七と☗5九金引☖3九龍☗3三桂成☖同銀は仕方がないと思いますがそこで☗7六歩と突けるのが大きな一手で,駒得の先手がよくなりました。
                                        
 福間女流四冠が3勝1敗で女流名人を奪取第36期,37期,38期,39期,40期,41期,42期,43期,44期,45期,46期,47期に続き3期ぶりとなる13期目の女流名人です。

 同時に第一部定理一五備考でスピノザがいっているのは,空虚vacuumすなわち真空vacuumが存在しないということを認めるのであれば,物体的実体substantia corporeaが無限infinitumであるということも認めなければならないということです。たぶんここではデカルトRené Descartesのことが意識されています。デカルトは空虚が存在しないということは認めます。しかし物体的実体が無限であるとは認めず,それは分割可能であるといいます。スピノザはそれは誤りerrorなのであって,もしも空虚が存在しないのであれば,物体的実体は無限であり,分割不可能であるということが必然的にnecessario帰結されるといっているのです。しかし今は,物体的実体が分割可能であるか分割不可能であるか,あるいは物体的実体が無限であるかないかを探求しようとしているわけではありませんから,これについてはここではこれ以上の考察は進めません。
 重要なのは,少なくとも空虚が存在しないという点については,デカルトもスピノザも認めているという点です。國分はこのような事例は,スピノザがデカルトの物理学に大きな影響を受けているからだと指摘しています。そうしたことが確かにあるのは間違いないところであって,たとえばスピノザがロバート・ボイルRobert Boyleに送った書簡十三では,ボイルが真空すなわち空虚の不可能性に疑念を抱いているというのは不思議に思うといわれています。また,この書簡ではデカルトの『哲学原理Principia philosophiae』への言及もあります。ただしこの引用は,ボイルに対してものというよりは,オルデンブルクHeinrich Ordenburgに対してのものといった方が適切です。ここの部分ではスピノザがいっていることをオルデンブルクが勘違いしていて,そのことが影響しているからです。スピノザがいっているのは,ボイルがデカルトを非難しているとしても,それはボイルの哲学する自由libertas philosophandiからそのようにしているのであって,そのことでデカルトの名誉gloriaを傷つけているわけではないということです。それがなぜかはボイルが書いたものと『哲学原理』とを読めば,オルデンブルクにも分かるであろうというのがその主旨になっていると僕は解します。ただしその部分の自然科学上の立場では,スピノザはボイルの側ではなくデカルトの側にいるのは事実です。
コメント
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