湯原温泉で指された第41期女流名人戦五番勝負第三局。
里見香奈女流名人の先手で角道オープン向飛車。清水市代女流六段が急戦を匂わせるような駒組をしたので,呼応した先手から仕掛け,この戦いは一段落。後手が中央で銀の交換を目指す仕掛けをして,今度は本格的な戦いに突入しました。
後手が△5六歩と垂らして手を渡したのに対して,先手が銀を打った局面。△2二角と逃げたのですが,この手を予定していたのなら,△6四角と引いた方がよかったように思います。
先手は▲5三歩と叩き,△同金直に▲7五歩と桂頭攻めを狙いました。
そこで△8七銀と打ったのは悪手で,△6四金と受けるべきだったとの感想。実戦の▲同金△同歩成▲同飛までは一本道。金銀交換ですが初期の後手の駒組に対応して7八に上がった金が捌けた分,先手の利が大きかったということでしょう。
ここはおそらく二者択一で,△6九金で角を取りにいく指し方もあったと思いますが△7六金。たぶんここで飛車を逃げる手はなく,▲7四歩△8七金▲7三歩成と進んだのは必然であるように僕には思えました。
飛車の逃げ場はいくつかありますが△9二飛。そこで▲6五桂と跳ねました。
事前に▲5三歩と叩いておいたのがとても生きる展開に。飛車桂交換の駒損ですがと金ができて手番を握り,▲9五角と出れば角も使えるので大駒の働きも先手が優ります。総合的にこの局面ではわりと大きな差がついているといえるのではないでしょうか。
3連勝で里見名人の防衛。第36期,37期,38期,39期,40期に続く6連覇で通算6期目の女流名人となります。
スピノザとの対決の本質を構成する部分に関して,多岐にわたる神の自由の領域を設定することが,ライプニッツによる決着のつけ方であったと僕は理解します。ただ,こう決着をつけると,今度は別の問題が発生してくるように僕には思えます。たとえばスピノザとライプニッツが会ったという事実を,どのように説明するべきなのかという問題です。ライプニッツは神が必然的あるいは宿命的存在であってはならないと考えていて,そうでないように神を規定することには確かに成功しているといえるでしょう。しかし神以外のもの,たとえば人間に関しては,むしろスピノザ以上に,それを宿命的に規定することになると僕には思えるからです。しかしこのことは,可能世界と現実世界の関係をライプニッツがどのように規定するかを検証してから考えても遅くはありませんし,むしろそうした方が,ライプニッツによる決着のつけ方が新たに生じさせる問題を,より明瞭に浮かび上がらせることになるでしょう。
ライプニッツにとって現実世界は,無限に多くある可能世界のうちのひとつであるというのが僕の解釈です。別の角度からいえば,無限に多くのモナドがあって,そのうちのひとつは現実的に存在するモナドであるとライプニッツは主張しているというのが僕の解釈です。そしてだれがそのモナドだけを現実的に存在するように決定するのかといえば,それが神なのです。このとき,なぜ神はそのモナドだけを現実的に存在するように決定し,ほかのモナドは現実的に存在するように決定しないのかということの根拠が問われなければなりません。
正確にいいますと,その根拠は問われなければならないというより,ライプニッツにはそれを説明する必要があると思うのです。神が決定するというとき,神の自由,同じことですが神の意志を想定しています。ところが現実的な世界は,ある人間にとってはよいことだけが生じる世界ではなく,悪いことも生じるような世界です。それが神の意志によって決定されているというならば、悪いことが生じたときには人は神を憎むようになるかもしれません。ライプニッツはそれを避ける必要があります。
里見香奈女流名人の先手で角道オープン向飛車。清水市代女流六段が急戦を匂わせるような駒組をしたので,呼応した先手から仕掛け,この戦いは一段落。後手が中央で銀の交換を目指す仕掛けをして,今度は本格的な戦いに突入しました。
後手が△5六歩と垂らして手を渡したのに対して,先手が銀を打った局面。△2二角と逃げたのですが,この手を予定していたのなら,△6四角と引いた方がよかったように思います。
先手は▲5三歩と叩き,△同金直に▲7五歩と桂頭攻めを狙いました。
そこで△8七銀と打ったのは悪手で,△6四金と受けるべきだったとの感想。実戦の▲同金△同歩成▲同飛までは一本道。金銀交換ですが初期の後手の駒組に対応して7八に上がった金が捌けた分,先手の利が大きかったということでしょう。
ここはおそらく二者択一で,△6九金で角を取りにいく指し方もあったと思いますが△7六金。たぶんここで飛車を逃げる手はなく,▲7四歩△8七金▲7三歩成と進んだのは必然であるように僕には思えました。
飛車の逃げ場はいくつかありますが△9二飛。そこで▲6五桂と跳ねました。
事前に▲5三歩と叩いておいたのがとても生きる展開に。飛車桂交換の駒損ですがと金ができて手番を握り,▲9五角と出れば角も使えるので大駒の働きも先手が優ります。総合的にこの局面ではわりと大きな差がついているといえるのではないでしょうか。
3連勝で里見名人の防衛。第36期,37期,38期,39期,40期に続く6連覇で通算6期目の女流名人となります。
スピノザとの対決の本質を構成する部分に関して,多岐にわたる神の自由の領域を設定することが,ライプニッツによる決着のつけ方であったと僕は理解します。ただ,こう決着をつけると,今度は別の問題が発生してくるように僕には思えます。たとえばスピノザとライプニッツが会ったという事実を,どのように説明するべきなのかという問題です。ライプニッツは神が必然的あるいは宿命的存在であってはならないと考えていて,そうでないように神を規定することには確かに成功しているといえるでしょう。しかし神以外のもの,たとえば人間に関しては,むしろスピノザ以上に,それを宿命的に規定することになると僕には思えるからです。しかしこのことは,可能世界と現実世界の関係をライプニッツがどのように規定するかを検証してから考えても遅くはありませんし,むしろそうした方が,ライプニッツによる決着のつけ方が新たに生じさせる問題を,より明瞭に浮かび上がらせることになるでしょう。
ライプニッツにとって現実世界は,無限に多くある可能世界のうちのひとつであるというのが僕の解釈です。別の角度からいえば,無限に多くのモナドがあって,そのうちのひとつは現実的に存在するモナドであるとライプニッツは主張しているというのが僕の解釈です。そしてだれがそのモナドだけを現実的に存在するように決定するのかといえば,それが神なのです。このとき,なぜ神はそのモナドだけを現実的に存在するように決定し,ほかのモナドは現実的に存在するように決定しないのかということの根拠が問われなければなりません。
正確にいいますと,その根拠は問われなければならないというより,ライプニッツにはそれを説明する必要があると思うのです。神が決定するというとき,神の自由,同じことですが神の意志を想定しています。ところが現実的な世界は,ある人間にとってはよいことだけが生じる世界ではなく,悪いことも生じるような世界です。それが神の意志によって決定されているというならば、悪いことが生じたときには人は神を憎むようになるかもしれません。ライプニッツはそれを避ける必要があります。