スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

しらさぎ賞&福居の結論

2016-04-27 19:13:09 | 地方競馬
 兵庫から2頭が遠征してきた第54回しらさぎ賞
 トーコーニーケが抜群の発馬でしたが逃げる気はなかったようです。外から押して主張したエールドランジュがハナへ。ヘレニウムとララベルが並んで追走。トーコーニーケはその後ろになり,プリンセスバリューとトーコーヴィーナスも並んできました。ティーズアライズまでが集団。少し離れてビーインラプチャーとファイトユアソング。最初の600mは36秒4のハイペース。
 向正面で単独の2番手に上がっていたララベルが3コーナーで逃げるエールドランジュに並んでいき,コーナーは2頭の雁行。トーコーヴィーナスもついていこうとしましたがむしろ離され気味に。代わってプリンセスバリューが3番手に。直線に入るとララベルがエールドランジュを交わして先頭に。ラップからみても一杯だったと思いますが,追ってきたプリンセスバリューに交わされると心配しなければならないほどではなく完勝。1馬身半差の2着にプリンセスバリュー。外をよく伸びたビーインラプチャーが半馬身差で3着。
                            
 優勝したララベルは昨年のロジータ記念以来の勝利で南関東重賞5勝目。能力が最上位であることははっきりしていましたが,ここが今年の初戦で,1400mであったこと,そして斤量がやや不利であったことなど,懸念材料もありました。それらをすべて払拭しての勝利。この馬は重賞でも通用しますし,メンバー次第では勝てると思います。距離はもっとあった方がいいのではないでしょうか。父はゴールドアリュール
 主戦の真島騎手が左のかかとを骨折して休業中のため騎乗した金沢の吉原寛人騎手は2月のフジノウェーブ記念以来の南関東重賞制覇。第53回に続く連覇でしらさぎ賞2勝目。管理している大井の荒山勝徳調教師は第52回以来2年ぶりのしらさぎ賞2勝目。

 そこにすでに平行論が含意されているという第一部公理四の意味に注目するなら,スピノザが第五部定理二二でいっていることは,現実的に存在する各々の人間の身体の本性には,その身体の本性を表現する観念が存在するということになります。福居の説明はこのようになっていないのですが,僕が解する限りはこのようにいった方が第五部定理二二の説明についてはより妥当であろうと思われます。その観念というのは,第一部公理四によって,現実的に存在する人間の身体の本性を原因から認識している観念のことなのです。
 このように考えれば,第五部定理二二で,人間の身体を永遠の相の下に表現する観念とスピノザがいっていたとしても,これは人間の精神が人間の身体に対して優越的であるとか特権を有しているという意味ではないことになります。なぜなら,現実的に存在する人間の身体の本性とは,それを永遠の相の下に表現する観念のことではないということが明らかになっているからです。それは同一個体という意味では同じものではありますが,身体の本性がその観念においてのみ存在するということは否定されることになるからです。福居のいい方に倣えば,観念論的解釈こそがここでは斥けられているのです。いい換えれば平行論的解釈を導入する必要があるのです。
 現実的に存在するある人間の身体の本性が神のうちで永遠の相の下に表現され得るのは,その人間の身体の本性の原因が神自身であるからです。あるいは延長の属性であるからです。そうした観念が必然的に神のうちに存在しなければならないことは,第二部定理三から明らかだからです。
 つまり福居は,現実的に存在する人間の身体の本性が永遠の相の下に表現されるのは,そうして表現されている人間の身体の本性が永遠性を有していることであると解し,その人間の精神が自分の身体の本性を永遠の相の下に表現する限りで,いい換えれば人間の精神が人間の身体の観念である限りにおいて,第五部定理二三では人間の精神は永遠であるといわれることになると解しているのです。この解釈が精神の優越性や特権を意味し得ないことは,とくに説明するまでもないでしょう。
コメント
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