スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典佐賀記念&唯一

2014-02-13 19:31:37 | 地方競馬
 高齢馬の出走が目立った第41回佐賀記念
 好発はフリートストリートでしたが内からエーシンモアオバーが先手を奪っての逃げ。これは想定通りでしょう。ナムラタイタン,フリートストリート。掛かっていた感じのデュナメス,オオエライジン,ソリタリーキング,ランフォルセまで差のない追走で,実質的にレースに参加したといえるのはここまで。このうちデュナメスは1周目の1コーナー付近からついていかれなくなりました。
 2周目の向正面からオオエライジンが激しく手を動かしながら上昇していき,レースが動きました。直線の入口でもエーシンモアオバーは先頭。オオエライジンはその外まで並び掛けましたが,この2頭はここで一杯。オオエライジンの外から手応えよく上がっていったランフォルセがそのまま抜け出し,追ってきたのはソリタリーキングとナムラタイタン。この3頭はそれほど差のないゴールとなりましたが,優勝はいち早く先頭に立っていたランフォルセ。半馬身差の2着にソリタリーキング。クビ差の3着がナムラタイタン。
 優勝したランフォルセは昨年11月の浦和記念以来の重賞4勝目。勝つだけの力はあると思っていましたが,南関東でわりとよい成績を出しているのに対し,輸送が長距離の場合は苦戦するという傾向があり,その点を不安視していました。もう8歳ですからさらなる上昇を望むのは酷かと思いますが,長距離遠征で結果を出せたのは収穫だったといえるでしょう。もちろんこのレベルのレースならば,まだ活躍が見込める筈です。父はシンボリクリスエス。半弟に2011年のアーリントンカップと昨年のカペラステークスを勝っている現役のノーザンリバー。Renforcerは音楽用語でますます強く。
 昨日は船橋で南関東重賞を制した戸崎圭太騎手の騎乗。佐賀記念は初勝利。管理している萩原清調教師は第33回以来8年ぶりの佐賀記念2勝目。

 スピノザは第一部定理一四系一には証明Demonstratioを与えていません。それはつまり第一部定理一四から直接的に帰結するということです。そしてそうであるならば,この系Corollariumが意味していることは,単に神Deusは唯一であって,複数の神は実在しないということであるというよりも,実在する実体substantiaは唯一で,複数の実体は実在せず,その実在する唯一の実体が神であるというように理解しておくのが妥当であると思います。そして神が唯一であるなら,神の本性の必然性,あるいは神の本性の法則も唯一であるといわなければなりません。だから第一部定理一四系一が,そのことの根拠となると僕は考えるのです。
 ただし,ここでは次のことに注意しておく必要があると僕は考えています。
 神が唯一である,そしてそのゆえに必然性necessitasも唯一であるというとき,この唯一というのは,数的概念notioを意味するわけではありません。つまり本来的にはひとつであって複数ではないというような意味ではないのです。むしろここで唯一ということが意味するのは,それに対して区別し得るような何物も実在し得ないし,考えるconcipereこともできないというような意味なのです。
 このことは,もしもあるものがひとつ,ふたつといった具合に数え上げることができるようなものであるとしたら,それはすでに様態modusであるということからまず帰結します。スピノザは第一部定理八備考二の中で,同じ本性essentiaを有する複数のものがあるならそれはその外部に存在existentiaの原因があるという主旨のことをいっていますが,これはここで僕がいっていることと同じです。なぜなら存在の原因がその外部にあるものは,第一部定理七によって実体ではあり得ません。よって第一部公理一の意味により,それは様態であることになるからです。
 一方,実在的区別は属性間の区別distinguereです。第一部定義六からして,神の本性は無限に多くの属性infinitis attributisから組織されるので,各々の属性は区別されなければなりません。しかし絶対に無限なabsolute infinitum実体は,それ以外の実体とは実在的に区別できません。なので神は一切の区別を可能としないような実在であり,それが唯一であるということの意味です。そしてそれが神の本性の必然性にも妥当すると僕は理解するのです。
コメント
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