スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ゴールド・ウイング賞&亀裂

2014-04-08 19:10:52 | 競輪
 年度が改まり,制度に若干の改定が加えられ,参加選手が増加して最初の記念競輪となった西武園記念の決勝。並びは池田-平原-岡-神山の関東,深谷-吉田の愛知,三谷-西川の西日本で山崎が単騎。
 深谷がスタートを取ってそのまま前受け。3番手に池田,山崎を挟んで8番手に三谷で周回。三谷は残り2周のホーム前から上昇開始。山崎が続きました。池田を牽制した三谷は打鐘前のバックで深谷を叩いて打鐘から先行。池田が山崎の後ろに入り,ホームで8番手まで深谷が引かされ一列棒状。バック入口から池田が発進の構えを見せると山崎も3番手から先捲り。遅ればせながら深谷も発進と捲り合戦に。先捲りの山崎が粘って優勝。池田の外から差し込んだ平原が8分の1車輪差で2着。4分の1車輪差の3着は池田で,まずいレースながらよく追い詰めた半車輪差で4着の深谷まで,接戦のゴールでした。
                         
 優勝した福島の山崎芳仁選手は1月のいわき平記念以来の記念競輪13勝目。西武園記念は初優勝。力はあるのですが,あまり立ち回りが上手でないという印象でしたが,今日はうまく3番手を確保しました。それほど捲りが決まりやすいとはいえないバンクなので,よい位置を取って先捲りを打てたのが勝因でしょう。いつも今日のように立ち回れるのならもっと優勝しておかしくありませんが,走行方法が急に変わるというようにも思えないでので,展開次第というレースが今後も多くなるのではないでしょうか。

 実体および属性が無限であるといわれる場合と,無限様態が無限であるといわれる場合に,無限であるということの内実には一切の相違はありません。いい換えれば,数的に区別可能な複数の無限をスピノザは示しているのではなく,どんな場合であれ,あるものが無限であるといわれる場合には,唯一の無限に言及していると理解するべきです。したがって,何らかのものが無限であるものに内在するといわれる場合にも,それは原則的に一義的に解釈するのが妥当であろうと僕は判断します。つまり物体が神ないしは延長の属性に内在するといわれる場合と,運動と静止あるいは不変の形相を有する全宇宙に内在するといわれる場合,一義的な意味において無限であるものに物体が内在していると解釈するのが妥当であろうと思うのです。要するに,単に神あるいは延長の属性に物体が内在するということと,運動と静止および不変の形相を有する全宇宙に物体が内在するということの間には,決定的な亀裂は生じていないのだと解釈するのが妥当だし,安全であろうと判断します。
 ただし,決定的な亀裂はないということは,純粋な意味において一切の亀裂がないという意味ではないと考えることは可能です。一般的にいって,AとBとの間に決定的な亀裂はないという言明は,AとBとの間に亀裂は存在するのだけれどもそれは決定的なものとはいえないという意味をもち得るからです。なのでこの場合にも,亀裂はあるかもしれないが,それは決定的なものとはなり得ないと理解しておくのが,妥当性とは別に,安全度が高いということはいえるでしょう。
 第一部定義三に示されているものに内在するということと,第一部定義五に示されているものに内在するということの間に,何の亀裂もないと解釈するのはむしろ危険が伴うように僕には思えます。第一部公理一は,第一部定義五に示されるものは第一部定義三に示されるものに内在するという意味だからです。つまりあるものが第一部定義五で示されているものに内在するということは,ほかのものに内在しているもののうちに内在しているという意味なのであり,そこには二重の内在性があるように思えるるのです。
コメント
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