スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

サウスヴィグラス&部活動

2009-04-13 19:10:40 | 名馬
 正月の船橋記念スパロービートが勝ちました。この馬の父は日本で競走馬生活を送ったアメリカ産のサウスヴィグラスという馬です。
 2歳11月デビュー。2戦目で初勝利を上げると3戦目も連勝。続くオープン特別で2着の後,芝の重賞にチャレンジするも大敗し,3歳春シーズンを終えました。
 競走馬はレースを走るときに,着地する脚の順番を変えます。これを手前を変えると表現しますが,これがあまりうまくない馬というのがいまして,この馬もその1頭。そのため手前を変えずにレースを終えることもしばしばだったようですが,これはスタミナに問題を来します。いいスピードで逃げたり先行したりしながらもフィニッシュ前に差されるというレースも多く,5歳の4月になってようやくオープンで初勝利を上げました。
 しかしこの馬が大きな変わり身を見せたのはようやく6歳になってから。根岸ステークスで重賞を勝つと,明らかに距離の長かったフェブラーリーステークスはアグネスデジタルの6着に破れましたが,黒船賞,かきつばた記念,北海道スプリントカップ,クラスターカップと怒涛の重賞4連勝。しかしこの年はこれでキャンペーンを終了してしまいました。
 翌年は前年の反省を踏まえ,根岸ステークス連覇の後,北海道スプリントカップまで休み,さらに休養を挟んで東京盃に。この東京盃で連勝こそストップしてしまいましたが,続くJBCスプリントでは見事に巻き返し,7歳にして大レースを制覇。これを手土産に引退しました。
 典型的なダートのスプリンター。そういう意味ではスパロービートはこの馬の特徴をよく受け継いでいるといえそうです。

 僕が人生の中で定期的に運動をしていた時期があったとすれば,それは中学校時代の3年間,より正確にいうなら中学校1年の初めから,3年の10月くらいまでです。これは次のような事情によるものです。
 僕は運動は苦手でしたし,好きでもありませんでしたから,本当のところ,運動部に入るということはしたくありませんでした。しかし僕の両親は,中学校の3年間は運動部に所属しなければならないという考え方であったのです。どちらかといいますと母親の方がこのことには強い考えをもっていて,父親は,そうした方がいいという程度のニュアンスでした。それで僕は仕方なしに運動部に入ることにしたのです。
 さて,運動部といってもその種類は様ざまですが,僕にはほぼひとつの選択肢しかないというような状況で,陸上部に入りました。というのは,野球とかサッカー,バレーボール,バスケットボールというような球技は,人並みにはできないということが分かりきっていましたが,走るだけであれば,運動それ自体に何か技術が伴うというものでもありませんから,まったくできないということはなかったからです。そこに違いがあるとすれば,早く走ることができるかどうかだけだったといえるでしょう。いい方を換えますと,多くのスポーツというものはそれをうまくやる技術というのを有する必要があり,僕はそれが苦手なわけですが,ただ走るだけであれば,技術的なうまさというのはそうも問われないのです。
 実は僕の通っていた中学校にはそれまで陸上部というのがありませんでした。この年,ほかの学校から転勤してきた先生が作ったもの。今から考えますとこの先生はちょっと変わった考え方の人だったと思いますが,それはおいておきましょう。で,この先生の方針で,この陸上部は原則的に長距離走一辺倒でした。
コメント
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