スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

マイナビ女子オープン&第一部定義四

2011-04-05 19:20:17 | 将棋
 年度明け最初のタイトル戦となった第4期マイナビ女子オープン五番勝負第一局。対戦成績は甲斐智美女王が8勝,上田初美女流二段が2勝。
 振駒で上田二段の先手。上田二段は相手が振飛車だとほぼ居飛車なので,こうなれば甲斐女王のごきげん中飛車は予想通り。③☗4八銀に。後手が5筋を交換したところで先手から角交換。先手はその角を先に手放す代償に銀桂交換の駒得を果たしました。
                         
 ここで後手が☖2六角。☗5四歩の受けにすぐに飛車は取らずに☖2二歩。☗5八金右☖7ニ銀の後,先手が☗3三飛成と切り,☗4ニ銀と打っていくことに。一応は攻め合う形になっていますが,先手の手の作り方はいかにも強引という印象で,中盤の折衝は後手がリードしていたのだろうと思います。そして一定の差が開いたまま終盤に。
                         
 ここで△6九角と打ったのが大ポカ。☗6三とで投了。☖7四銀とでも受けていれば後手が必勝に近かったと思います。アッと驚く大逆転でした。
 上田二段が先勝。明らかな拾い勝ちですが,こういう1勝が大きかったりする場合もあります。第二局は22日。

 僕が本格的に『エチカ』の読み直しを始めたとき,最初の躓きの石となったのは第一部公理五でした。これは当該部分の考察においても示した通りです。実際のところ,現在でも僕は,この公理Axiomaというのは,そこで使われている共通点ということばの意味が不明であるなら理解不可能なものであると思っています。実際にその意味が『エチカ』において明らかにされるのは,どんなに早く見積もったとしても第一部定理二であり,少なくともそこまで読み進めなければ,第一部公理五でスピノザがいわんとしていることを把握することが困難だと思われるからです。少なくともこの共通点ということばは特別な用語であり,しかも哲学の用語として特別な意味が込められているというよりは,スピノザの哲学においてのみ成立するような特殊な意味が含まれていると僕には思えます。
                         
 しかし,実際にスピノザの哲学の研究者たちの間で,最初に大きな論争の焦点となる,あるいはなった部分というのは,この第一部公理五よりもさらに前にあります。それが今回のテーマとして設定した第一部定義四です。
 「属性とは,知性が実体についてその本質を構成していると知覚するもの,と解する(Per attributum intelligo id, quod intellectus de substantia percipit, tanquam ejusdem essentiam constituens.)」。
 僕自身についていえば,この第一部定義四のうちに,特段の難題が含まれていると考えているわけではありません。ただ,やはり研究者の間で大きな争点となった部分なのですから,それに関して僕自身がどのような立場に立っているのかということや,またどういった理由によってそうした立場に立つのかということについては明らかにしておいた方がよいのだろうと思います。
 そこで今回は,まずこの第一部定義四に,論争の対象となり得るような点が含まれているとすれば,それがどのような部分に存在するのか,そして存在するその部分,というかそれはひとつの部分には限りませんから,それら各々の部分について僕がそれをどのような根拠をもってどのように理解するのかということを示します。そしてただそのように示すだけではなく,僕自身の能力が及ぶ限りという限定はつけざるを得ませんが,スピノザがなぜ属性についての定義Definitioというのをこのような仕方で表現したのかということについてもいくらか探求してみたいと思います。
 なお,『エチカ』において本質essentiaと本性naturaはほぼ同じ意味です。この定義では本質ということばが用いられていますが,僕はこれまで通り,本性ということばの方を使うことにします。
コメント
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