スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ドンカスターマイル&問題の回避

2014-04-14 19:10:54 | 海外競馬
 芝のこの距離では世界最高賞金となるドンカスターマイルGⅠ芝1600mは12日にオーストラリアのランドウィック競馬場で行われ,渡豪してクールモアクラシックを使ったハナズゴールが出走しました。
 出負けしたというのではありませんが,発馬直後に控えました。隊列から少し離れた最後尾を,2頭で併走という形でのレースに。併走馬はハナズゴールの内にいたのですが,3コーナーを回ると前を追い掛け始め,大外へ。ハナズゴールは単独の最後尾となり,それでも前との差はだいぶ詰まったところで直線に。それほど外には出さず,前が開いたところで追い出すと,よく伸びました。ただ勝負をするというところまではいくことができず,勝ち馬から概ね7馬身差の6着でゴール。
 折り合って末脚を生かすのがこの馬の形で,そういうレースはできたし,発揮した末脚もまずまずのものだったと思います。なので僕としてはよいレースをしてくれたし,それをなすだけの体調も整っていたという感想。雨が降っているようには見えませんでしたが,馬場は悪かったらしく,陣営はそれを敗因のひとつに挙げています。もちろん良馬場の方がこの馬の持ち味は生かしやすかったでしょうが,天候はどうしようもないこと。着差から考えても,勝ち負けまでは馬場が良くても難しかったように思えます。

 朝倉流の論証がどのようにして,あるいはなぜ,僕が示したような問題を解消しているかといえば,無限性を実体および属性の無限性として一義的に解釈し,無限様態の無限性に関しては,むしろ有限性であるかのように解釈しているからです。ただ,この説明の仕方は,僕の考察に引きつけた,独善的といえなくもない説明です。朝倉流は僕が立てたふたつの問題に関して,それを解消しているというよりは,最初からそのような問題が発生することを回避しているという方が正確でしょう。
 内在性の方についていうならば,一義的な意味において無限である実体および神のうちに,無限様態があたかも有限であるかのように内在して,この全体としての無限様態のうちに,各々の個物res singularisが内在しているという構造になります。したがって,res singularisが実体ないしは属性に内在するということと,res singularisが無限様態に内在するということの間には,同じように内在するといわれているとしても,意味合いの上では相違があることになります。スピノザが神の意志と人間の意志の相違を説明する際に用いた比喩に倣うならば,様態,無限様態とres singularisが実体ないしは属性に内在するということが本物の犬だとすれば,res singularisが無限様態に内在するということは星座の犬であるということになります。つまり本来は異なった記号で表現されるべき別種の事柄が,同じ記号で表現されているにすぎないというような関係がそこにはあるということです。
 これでは無限性が一義的であっても,内在性は一元的ではないという種の疑問が生じるかもしれませんが,僕の理解では,この方法は別種の二元的な内在性について語っているのではありません。むしろ内在性は原因が結果を内在させるということ,つまり内在的原因を一元的に意味するのであり,媒介するといわれる場合,媒介しているものが媒介されるものを内在させるといういい方が正確ではないということです。他面からいうなら,単にAがBのうちに実在するということがBがAに内在するということの正確な内容ではなく,AとBとの間に,必然の第二のタイプの必然性がある場合に,BはAに内在するといわれるわけです。
コメント
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