スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

マイナビ女子オープン&思惟属性の三様態

2014-04-25 19:26:34 | 将棋
 将棋の街で指された第7期マイナビ女子オープン五番勝負第三局。
 加藤桃子奨励会1級の先手で,里見香奈女王は横歩取りに誘導しようとしましたが先手が避け,相矢倉で先手が棒銀,後手が三手角という力戦に。共に玉が入城する前に開戦となりました。
                         
 後手が駒を取りに角を打ちこんだところ。しかしそんな余裕がある局面ではなく,この手はぬるかったように思います。
 先手は▲7一角と打ち込みました。この玉型で飛車を取られてはひどいので△6三飛でしたが▲6四歩。飛車で取っては8二に角を成られて駒を取られるので△同角成でした。ただこれには▲7ニ銀で飛車を捕獲できます。△3三歩▲3五飛△6五歩▲7七銀で後手は止むを得ず△1九馬。▲6三銀成△同銀に▲6一飛と王手に打ち込みました。
                         
 先手も歩しか持ち駒はありませんが,こうなっては後手は崩壊寸前。この後も先手がうまく決めて勝ちきりました。
 勝った加藤奨励会1級の2勝1敗に。第四局は来月8日です。

 スピノザは思惟の属性については,無限知性が直接無限様態であるとだけいっていて,間接無限様態については何も説明していません。福居流は思惟の属性を対象に考察していますので,この点に関する僕の現時点での考え方を表明しておきます。
 思惟の属性の個物res singularisが,個物の観念であるということに異論は出ないと思います。福居流では第二部定理八系の,res singularisの観念が神の無限な観念が存在する限りにおいて存在するといわれている場合が中心視されていますが,今はこの点にも固執する必要性はありません。そしてこれは,第二部定理九から部分的抽出を行うことによって出てくる思惟の様態です。
 第二部定理九の「無限に進む」というのを積極的に理解すると,res singularisの観念の原因と結果の連結の無限連鎖がひとつの全体として認識されることになります。この場合の無限連鎖の全体が思惟の様態であるということは当然です。そしてこれを連鎖という観点から把握するとき,僕はそれを思惟の属性の直接無限様態である無限知性とはみなさず,思惟の属性の間接無限様態と理解します。いい換えれば,第二部定理九で示されている全体は,思惟の属性の間接無限様態に関する言及であると理解します。これはちょうど,第一部定理二八で示されている無限連鎖の全体は,何らかの属性の直接無限様態についての言及ではなくて,間接無限様態に関する言及であるというのと同じ関係です。第二部定理九は第一部定理二八をひとつの根拠として抽出されるので,福居は分かりませんが,朝倉はこの見解に同調するものと思います。
 僕が無限知性とみなす思惟の様態を第二部定理九と関連付けて説明するなら,それは第二部定理九の全体を十全に認識し得る唯一の知性です。いい換えれば思惟の属性の間接無限様態全体を十全に認識するのが,思惟の属性の直接無限様態であるということになります。
 以前の僕はこの立場に関してあやふやな部分がありました。しかし現在は,上述のような仕方で,思惟の属性の直接無限様態と間接無限様態を明確に区別しています。
コメント
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