スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東京プリンセス賞&幼児期

2010-05-21 19:09:46 | 地方競馬
 桜花賞馬と2歳女王の対決という図式になった昨晩の第24回東京プリンセス賞
 内のピエールパピヨンを抑えてギンガセブンの逃げ。ピエールパピヨン,スクロヴェーニ,アヴィニヨンと続き,ショウリダバンザイとプリマビスティーは並ぶように後方3,4番手。最初の800mは48秒4。不良馬場でスピードが出やすいということもあったでしょうがこれは超ハイペース。
 先行集団の直後にいたスターオブジュリアが早めの競馬で直線入口では2番手。さらに直線に入ると逃げ粘るギンガセブンも交わして先頭へ。漸進してきたショウリダバンザイがこれを目標とするように上がってきて,少し馬体を離しての叩き合い。さらに後方に控えていたトーセンウィッチがこの2頭の間に入り,ゴール前でぐいっと出て優勝。外のショウリダバンザイが2着で内のスターオブジュリアが3着。
 優勝したトーセンウィッチはJRAデビュー。6戦して勝てずに昨年暮れに南関東転入。転入初戦は4着でしたが,その後に2連勝してクラシック路線で戦ってきました。やや展開面で恵まれた面はあり,レースの内容からも能力はショウリダバンザイの方が上のような印象ですが,うまくチャンスをものにして南関東重賞を制覇しました。父はキングカメハメハ
 ここは主戦の船橋の張田京[たかし]騎手の騎乗。昨年暮れの東京シンデレラマイル以来の南関東重賞制覇。東京プリンセス賞は1999年以来となる2勝目。管理している船橋の川島正一調教師は開業4年目で南関東重賞初制覇となりました。

 まずは赤ん坊ないしは幼児期の人間の身体について考えてみます。もちろん自分のその当時のことについては,それが記憶に残っているという人は,仮にいたとしてもごくごく少数ではあるでしょう。しかし経験的観点というのは,必ずしも自分自身の経験が記憶として現前するかどうか,つまり表象の種類でいえば想起できるのかどうかということが重要なのではありません。むしろ対象となる事柄,この場合でいえば赤ん坊とか幼児期の人間の身体というのがいかなるものであるのかということについて,何らかの観念があるということが重視されます。なんとなればそうした観念さえ有しているならば,自分自身にはその経験がないという場合でも,経験論というのは有効です。これはたとえば失禁について考えてみれば明白であって,別に失禁した経験がないからといって,失禁を対象として物事を考えるということが,経験論的な価値を失うわけではありません。自分自身にその経験がないことでも,その観念の対象を自分自身と結び付けて考えることができるのなら,経験論は必ずや有効でしょう。そして失禁と同様に,赤ん坊とか幼児期という観念を,自分自身の観念と連結することができない人間がいるとは僕には思えないのです。
 現在の考察に合わせていうならば,ここでいう赤ん坊とか幼児期の人間の身体というのは,排尿という運動を我慢することがない人間の身体ということになります。実際に,人間は少なくともある時期まで,この運動を我慢しないということについては,異論は出ないでしょうから,ここではこのように規定しておきます。そして排尿という運動を我慢しないということは,身体のうちに一定の量以上の尿が蓄積された場合には,ただちにその尿が身体の外部に排出されるということを意味します。この運動は,もしも幼児期の人間の身体のうちに排尿の観念があると仮定するなら放尿ということになり,それがないということであれば失禁のうちの第2ないしは第1のタイプとなるわけですが,これはどちらであると考えてもらっても構いませんので,ここではそれ以上は追及しないことにします。
コメント
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