スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

彼女の生き方&第一部定理一一

2006-09-09 22:27:18 | 歌・小説
 ジャイアント馬場さんがいった,苦しくてもうだめだと思ったときにもう1回だけやってみた方がいいですよということばを,僕は折に触れて思い出す,オーバーにいえば人生訓のようなものだといいましたが,僕にはそれとは別にもうひとつ,よく思い浮かべることがあるそうした人生訓めいたことばがあります。それは中島みゆきの「彼女の生き方」という歌に出てくる次のフレーズです。

       思い通りには 動かない
       世の中なんて 何もかも
       だけど あたしだって 世の中の
       思い通りなんか 動かない

               
 実際のところこれは,ほとんど釣り合いのとれないことをいっているわけです。というのは,たとえば僕にとって世の中が僕の思い通りにならないことは,僕のすべてであるといえなくもないですが,世の中からしてみれば,僕ひとりが思い通りに動かないところで大した影響もないからです。それにも関わらず,思い通りにならない世の中に対して,自分も世の中の思い通りには動かないとつっぱってみせるところに,僕はある種の矜持のようなものを感じるのです。そして何より素晴らしいのが,それがこのようなごくごく簡単なことばのみで示されている点。たぶんこれは,僕が今までに出会ったことばの中では最も僕にとって偉大なもので,そしてこのような精神をいつまでももっていたいと思っています。

 スピノザが神Deusの存在existentia(神が存在するということ)を証明しているのは第一部定理一一です。
 「神,あるいはおのおのが永遠・無限の本質を表現する無限に多くの属性から成っている実体,は必然的に存在する」。
 神が無限に多くのinfinita属性attributaからなる実体substantiaに置き換えられることは,第一部定義六からも明らかだと思います。そしてそれが必然的にnecessario存在するというのは,神は何かほかのものの助けを借りずに,単に神の本性naturaの法則のみによって,つまり第一部定義一にいう,その存在がその本性essentiaのうちに含まれているような自己原因causa suiとして存在し,そしてまたそうであるからには永遠aeterunusから永遠にわたって存在するという意味に理解していいだろうと思います。
 なので,定理Propositioの意味については何も問題はないと考え,スピノザはこの定理を3種類の方法で証明していますので,その証明Demonstratioの手続きが,ここでのテーマという観点からみて妥当であるかどうかを検証していくことにします。
コメント
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