スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ある哲学者の人生&減少

2013-08-20 18:57:34 | 哲学
 スピノザと演劇に関しての情報を僕に与えてくれたのはスティーヴン・ナドラーSteven Nadlerの『スピノザ ある哲学者の人生Spinoza, A Life』でした。
                         
 原本の発刊は1999年。スピノザの伝記としては最も新しいものと考えて差し支えないでしょう。ただ,伝記といいましても,この本は部分的にスピノザの思想についてのナドラーによる解説も含まれています。また,単にスピノザ自身の伝記であるというよりも,スピノザが生きた時代のオランダ,とりわけ当時のユダヤ人社会についての言及が多く含まれています。なので,単にスピノザに関心があるという場合には,退屈に思えるような部分があるかもしれません。それは逆にいえば,スピノザには一切の関心などなくても,興味深く読むことができる部分があるという意味でもあります。
 日本語版の訳者は有木宏二。僕はこの方を存じ上げませんでしたが,ある意味では当然。この方の専門は美学と美術史だからです。『レンブラントのユダヤ人』という,やはりナドラーによる本の翻訳にあたる際,編集者にこちらの本の翻訳も勧められたとのことです。
 有木が訳者解題で述べているように,意訳は避け,逐語訳が心がけられています。ナドラーは英語で書いていますので,いわば英文の直訳です。このために,日本語としてはかなり読みづらいです。とくに「彼」とか「それ」といった再帰代名詞が何を指示しているのかが,一読しただけでは不分明な文章が僕には頻出しました。この本を読むにあたってまず僕が指摘しておきたいのは,そうした文章に挑む覚悟が必要とされるということです。もしも英語に堪能であれば,原著を読むことをお勧めします。
 原本には索引があり,これは日本語版では省略されています。注釈は訳されているのですが,個人的にいえば注釈よりも索引の方が有用です。なので僕としてはこれは残念に思える選択でした。

 ここからは現実的に存在するある個物res singularisの活動能力agendi potentiaが減少するという場合のみを考察の対象に据えることにします。そしておそらく,これがその個物にとっての限定determinatioであるということは,異論はないでしょう。第三部定理五九はその根拠になり得ます。なぜなら,ある個物が大なる完全性perfectioから小なる完全性に移行することは,その個物の能動actioには属さないということがこの定理Propositioから出てきます。能動に属さないならばそうしたことは受動passioによって生じます。そしてここではこうした移行transitioを,個物の活動能力の減少と解しています。よって個物の活動能力の低下は,その個物が部分的原因causa partialisである場合にのみ生じるのです。つまりこのことはその個物の本性essentiaだけでは説明できません。むしろその個物の外部にある別の原因によって,あるいはそういう原因と共に説明されなければならないのです。そしてこの場合に,その外部の原因が,活動能力を減少させる個物を限定しているということは,明らかだといえるでしょう。
 実際にこのことは,第一部定義二第四部公理からしてそのように理解できる筈だと僕は考えます。しかし,それが限定であるということがはっきりとしている例をひとつだけ提出できるならばそれで十分であるというのが現在の条件です。そうであるならばさらに適切と思える事象がありますから,それを選択するのがベストでしょう。
 そもそも活動能力が減少するということは,『エチカ』においては必ずしも量的な概念notioである,あるいは量的な意味だけを有するような概念であるとはいえません。しかしある場合には,これを単に量的に把握することが可能です。量としていくらであるかは示せないとしても,いくらかではある活動能力が,ゼロになるという場合がそれに該当します。そしてこれが活動能力の減少であるという点についても,異論はないでしょう。プラスがゼロになれば,それは減少だからです。
コメント
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