福山雅治のSUZUKI トーキングF.M.

2006年08月01日 | 佐野元春 Radio Days

<06・07・30 PlayList>
Talking Label MFSTFM-060730/FM-STEREO

01. LOVE TRAIN
song by 福山雅治

02. SOMEDAY
song by 佐野元春
(佐野元春シングル・コレクション「THE SINGLES」より)

03. HEAVEN
song by 福山雅治

04. ガラスのジェネレーション 2006
song by 佐野元春
(佐野元春シングル・コレクション「THE SINGLES」より)
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■内容の一部を抜粋
福山雅治のSUZUKI トーキングF.M
JFN系38局ネットで2006年月7日30日(日)4:00PM -4:55PMに放送された。

・福山雅治と佐野元春
10年ほど前に福山雅治がDJを担当していたAMの深夜放送にゲスト出演して以来だという。テレビの歌番組では一度も会ってないけれど、レコーディング・スタジオでニアミスしたことはあるらしい。ちなみに佐野元春は「福山雅治のSUZUKI トーキングF.M.」を一度も聴いたことがないという。

・日本酒党
ほとんどアルコールを飲まなかった佐野元春だが、ホーボーキングバンドになって以降、ライヴ・ツアーで訪れた金沢で、バンドと食事している時に、バンドの連中に騙されて(薦められて)飲んだ日本酒がおいしかったので、飲むようになった。翌日に残るまでは飲まないのだという。バンドの連中は楽しい酒で悪い酒飲みがいないので楽しい気分になるのだそうだ。彼らがバカをやってるのを見てニコニコしているのだとか。
「味というか雰囲気は洋酒よりも日本酒のほうが圧倒的においしいなと感じますね」と佐野元春。

・リミックス
最近リミックス・ベストをリリースした福山雅治は「本当はリミックスしたかったんじゃないですか?」と質問した。
「シングルは聴いてくれたファンの記憶に残っているものだから。シングル集と銘打って今回纏めたんだよね。当時出したそのままのアレンジで。ただリマスタリングして音は良くなってる」
「普段は自分の昔の曲を聴くことはないけれども今回はホントよく聴きましたね。特に'80年代まだデジタルの時代ではなくアナログだったでしょ。だからマルチテープに残された自分の声や自分の演奏を聴いて思ったのはアナログ・テープはすごいなということかな。'80年代という時代の雰囲気がそのテープにしっかりと残されている。それがびっくりしました。とっても力強かった」
「ちょうど'80年代の中盤からアナログからCDに変わっていった。最初の頃のCDというのは音が薄くてね、僕が聴いても不満だったんですけれども。それから20数年経って技術も発達して、こうして過去の僕の曲がリマスターとして良い音で蘇えるというのはとても光栄なことですし、うれしいことです」と佐野元春。

☆異種格トーク2006 佐野元春VS福山雅治
>>本日のテーマ「テレビ & ラジオ」
「(テレビに出るのは)あまり慣れてないですね。それほどテレビをプロモーションに使っていた口ではないので、なんか、う~ん、夢中になれない」と佐野元春。
「ラジオであればこれまでのキャリアの中で6番組、7番組手掛けてきているので自分の得意分野なんだけれどもね。テレビというのはどうしてもラジオの製作とは違っていろんな人たちが関わるでしょ、いろんな考えの人たちが集まって。だからひとつに意見をまとめるのがめんどくさいだよね。でもラジオだと自分の考えだけでチャッチャッとできるでしょ。そこがいいというかね」と佐野元春。

・どんどこ(どん)のぐっさん(山口智充)の番組(「MusiG」)に出演されてますね(笑)?
「それはねぇ、う~ん、それはねぇ...あの、ほんの瞬間の出演なんですけれどね。僕、ぐっさん好きなんですよ。素晴らしい芸人ですよね。ぐっさんも多感な頃、彼は大阪にいたんですけれどね、自分が大阪にコンサートに行くとよく来て、はじめて会ったときも昔からの友達みたいな感じ。彼と喋るのがものすごく楽しんですよね。その彼とのちょっとした軽妙なやりとり、約1,2分とまぁそんな感じなんですよね」
「僕とぐっさんが楽しく喋ってるのを、ちょっと隠し撮りしてくれてるみたいな、そういう感じだからね。なんかラジオでこうやってね、好きなことを喋ってるような感覚、ラジオ感覚というかね。だからやりやすい。でも演技してくれとか、台詞を決めてくれというのはね、う~ん、どうもね、という感じ?」と佐野元春。

>>佐野元春一問一答(リスナーからの質問)
・プライヴェートの顔が知りたいです。休みの日は何をしていますか? っていうか家の中ではどんな服装をしていますか?
「ははははは。言えない、言えないよ。公共の電波で話すような、そういう内容じゃないんだよね」
「オンでも仕事の時は仕事だって感じだけど、オフだなぁって思える時はそんなに多くない」と佐野元春。
「新しい音楽の情報はどうやって手に入れるんですか?」と福山雅治。
「昔ながらにラジオだとか、今だったらインターネットとか、友人とか。自分の好きな音楽はいつの間にか耳に入ってくるというのかね。自分は今こうして音楽を作る立場でもあるんだけれども、昔から聴いて楽しむ立場でもあります」と佐野元春。

・若い頃の激しい恋の思い出はありますか?
「ない(笑)。そういうことはね、公共の電波で喋っちゃダメなんだよね」と佐野元春。

>>福山雅治からの質問
・この10年、佐野さんに聞きたくて仕方がなかったことなんです。レコーディングの現場で使われる佐野さんのオリジナルの表現の単語があるってホーボーキングバンドのメンバーから聞いたんです。例えば「ここ、もうちょっとリヴァーヴィーに」とリクエストしたとかいう(笑)。「リヴァーヴィー」って佐野元春原理主義者の我々の解釈ですけれど、より深くリヴァーブ、まぁエコーをかけることを意味している、それを指してリヴァーヴィーって言ってるというのは間違いないですか?
「ふふ、間違いない(笑)」と佐野元春。

・よっしゃあ!(パンと手を叩く) やっぱ、そうなんだ! それは佐野さんが生み出した造語であるという説が流れているんですけど、これは間違いないですか?
「間違いない。辞書に載ってないからね」と佐野元春。

・ですよね(笑)。でもね佐野さん。これ今僕らも使ってるんです。
「いいね(笑)。まぁ言葉なんてそんなもんなんですよ。どんどんどんどん形を変えてね、人々のあいだで使われ行くという」と佐野元春。

・あと、佐橋さんにトーク・バックで「佐橋くん、今のフレーズ、もっとニールヤンギッシュに」って言ったっていうのは本当ですか?
「僕はね、それ言った記憶はないです。それはねぇ、う~ん、佐橋くんの妄想じゃないかな」と佐野元春。

・それで佐橋さんがニール・ヤングっぽく弾いたら、トークバックで「佐橋くん、今のトゥーマッチニール」って言ったっていう。これは本当ですか?
「ふふ。それもね、尾ひれ背ひれついててね~。僕はそんなことを言った覚えはないですよ」と佐野元春。

・都内のスタジオでレコーディングしてた時に、佐野さんが2階で僕地下でレコーディングしてたんですよ。その時に佐橋さんとkyOnさんが嬉々とした顔で下りてきて「福山くん、今日も佐野さんのありがたい言葉が出た。聞いて」ってその話を僕にしてくれたんですよ(笑)。
「あぁ~、じゃあ、あながち間違いじゃないかもしれないね」と佐野元春。

・で、それも結局僕使ってますもん、ニールヤンギッシュにって(笑)。それってどっから出てくるんですか?
「とにかくね、福山くんもそうかもしれないんだけれども、音楽作る現場っていうのは言葉じゃないんだよ。言葉じゃないものを求めて、僕たちは音楽で何かを表現しようとしているわけですよね。そこで交わす言葉なんてどーでもいいの。辞書に載っていなかろうが、載っていてもいいの、自分のその時思ったそのままで表現すれば」
「リヴァーヴィーね、そうニールヤンギッシュ。いいんじゃないかな。うん。誰かに言われても僕よくわかるよ。OKっていう感じ。弾きすぎるとトゥーマッチニール、それもわかる。ミュージシャンというのはそういうものだと思うんですよね」と佐野元春。

・あと最近何かあるんですか? きっと無意識でしょうからアレだと思うんですが。
「僕はね、そんな変な言葉使いません」と佐野元春。

・HEAVEN
佐橋佳幸がプロデュースした曲で佐野元春からリクエスト。
「スタジオで何を言ってるかホントはわかりません僕は。とにかくレコーディング・スタジオの中では不思議なことがいっぱい起こるので、一般の方たちにはわかってもらえなくていいと僕は思ってるんだ。そこでどんな言葉が交わされてるとか、何食べてるかとかね(笑)」と佐野元春。

・夏に旅に行く予定はありますか?
「実をいうとレコーディングがはじまってて、正式なレコーディングというかは、セッション的なところからはじめてるので、夏はちょっと、う~ん楽しいセッションの時間という感じですかね」
「旅は好きです。今行きたいのはモロッコ。まだ行ったことがないので。あそこは東と西の文化が混ざり合ってる場所なので文化がすごくおもしろいという話ね」と佐野元春。

>>『THE SINGLES
・言葉の使い方に「ダメだし」をするんですが...
「ソングライティングというのはね、簡単な作業ではないよね。曲は何曲でもできるけれども、詩というのはちょっとしかできないね」

・曲が先か、詩が先か。
「半分半分。同時にできることもありますね。僕は曲作る時は楽器を持たない。頭の中でほとんど組み立てて、ビートの効いた曲であればギター、メロディアスな曲であればキーボードを弾いて、テープに録ってゆくという感じ。だがら最初に大体頭の中で言葉とかメロディーとか、それからアレンジも頭の中で組み立てる。ずっとそういう作り方。だから頭の中に最終形が出てくる。全部ひとつになって出てくる。出てきたものをひとつひとつ解明して、コードにしたり、演奏したり、編曲したりという感じかな」
「あとね、初期にはザ・ハートランドというバンド、そして現在ではザ・ホーボーキングバンド。素晴らしい仲間たち。彼らとレコードを作る時は彼らのアイディアに任せることもあるし、僕が彼らの前に曲を持っていって弾くと、彼らはついてきてくれるので、OKの場合はOKだし、違う場合にはそこは違うと言って、だんだん形にしてゆく。本当のバンド・サウンドだよね。最近はホーボーキングバンドからは完全にバンド・サウンドのレコーディングになってますね」と佐野元春。

・バンドが好きなんですか?
「バンドが好きですね。男の子というのは徒党を組みたがるものなんだよ。ひとりじゃやってかられないんだよね」と佐野元春。

・寂しがり屋ですか(笑)?
「ふふ。そうかな」と佐野元春。

・時代性について
「僕たちソングライターというのは聴いてくれるみなさんと同じように時代の中に生きているわけですよね。その時代、その時代にいろいろな出来事が起こったり、人々の心もその時代時代によって違ってますよね。それをまず感じるところからはじめるというか。今の時代にいる人たちはどんな気持ちでいるんだろうとか、あの出来事というのは僕の日常の生活にとってどういう意味があるんだろうとかね。やっぱり自分の今まで作ってきた曲とかアルバムとか振り返って聴くと、特にアルバムであれば、その当時の自分にとっての新聞というかニュース・ペーパーというかね。だから曲が言ってみればひとつひとつの記事にあたるのかな。そうしたソングライティングを通じて自分は何者だろうというのを探ってゆく旅というかね。僕にとってはそんな感じです」と佐野元春。

・配信をはじめたのが早かった。新し物好きのイメージがある
「それは僕が新しいものが好きというよりかはファンがそれを望んでいるだよね。時代はどんどん進化してゆくでしょう。大抵レコード・メーカーの誰よりもミュージシャンのほうが先に感覚は行ってますし、ミュージシャンよりもむしろリスナーが感覚的には先に行ってる場合がある。だからファンが望むというのかな。もっと新しいことを、新しい時代の何かを感じさせて欲しい。そうするとじゃあ実験してみようという話になってくるんだよね」
「だからファンというのは時々支援してくれる、応援してくれるという点ではとてもうれしいんだけれども、時々とっても恐いと思う時がある。自分の感受性よりも、もっと鋭い感受性を持った誰かが自分の曲を聴いてくれてるわけですから、そこは恐れという感覚もありますね」と佐野元春。

・今後の夢を聞かせてください
「う~ん、僕の個人的な夢なんてどうでもいいんだよ。ははは。どうしてそんなこと聞くの? ははは。構成作家呼んできて」と佐野元春。

・デビューして26年。音楽やってると思いました?
「いや~正直言ってね、思ってなかったですね。最初デビューした時3年持てばいいなと思っていたし、その先10年続ければ、10年も続けてきたんだって振り返って思うしね。でも、もう今は曲を書くこと、詩を書くことというのが、ごはんを食べると同じくらい日常的なことになってるのでね、もう今は曲を書くことで自分自身は何者なんだっていうことを知るというか、そういうありがたいものになってしまったね、だんだん」
「僕の人生からいろいろなものが無くなってもいいんだけれど、音楽だけは無くさないようにちゃんとホールドしとかなくっちゃという感じ?」と佐野元春。

・ガラスのジェネレーション 2006
「この曲は僕が23歳の時に書いた、1980年にレコーディングした曲ですね。曲名が『ガラスのジェネレーション』というんだけれども。これはちょっと変わっていてオリジナル・ヴァージョンではないんですよ。当時'80年にレコーディングした自分のピアノとヴォーカルだけ残して、そのほかの演奏を現在のホーボーキングバンドのメンバーに全部演奏し直してもらったという、ちょっと変わったリニューアル・ヴァージョンというかね」と佐野元春。

・歌のグルーヴ感、ピアノのグルーヴ感ってその当時の佐野さんのグルーヴ感とあまり変わってないですか?
「あまり変わってない。でも声が変わってる。23歳の時の自分の声がアナログ・テープにしっかりと定着していて、当時の自分の思っていたこと、感じていたこと、それがすべて歌声にある。で、僕、自分歌い直そうかなと思ったんだけれど、その歌声を聴いたときに、あっ負けたって。この1980年の自分の声を超えるものはもうないって、いい意味での諦めがあり、そのヴォーカルと自分が弾いたピアノだけ残して、後は全部差し替えた」と佐野元春。

・ホーボーキングバンドだから出来た作業ですよね。タイム感、グルーヴ感がわかってないと出来ないですよね?
「そういうことですよね。もちろん。これは初期の僕の大事な曲であり、ホントに信頼しているミュージシャンにしかそうしたことはさせたくなかった。そうした意味ではホーボーキングバンドはとてもいい演奏をしてくれましたね。感謝してます」と佐野元春。
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