Motoharu Radio Show #128

2012年10月11日 | Motoharu Radio Show

2012/10/09 OnAir - 2nd. Week - カントリーロック特集 萩原健太氏を迎えて 1
01.The Flying Burrito Brothers:Christine's Tune (A.K.A. Devil in Disguise)
02.The Byrds:You Ain't Goin' Nowhere
03.Aimee Mann:Charmer
04.Aimee Mann:Soon Enough
05.The Band:Long Black Veil
06.Borderline:Don't Know Where I'm Going
07.Poco:You Better Think Twice
08.Eagles:Saturday Night
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■内容の一部を抜粋
・カントリーロック特集 萩原健太氏を迎えて 1
今週、来週の二週は音楽評論家の萩原健太氏を迎えての「カントリーロック特集」。

・Christine's Tune
1969年のフライング・ブリトー・ブラザーズのファースト・アルバムから。
「このコンプのかかり具合を聴くと佐野さんの番組だなぁという感じがしますね。いい感じですよ」と健太さん。
ペダルスチールにファズをかけるという狼藉を働いてると健太さん。

・1960年代以前のカントリー・ミュージック
アイルランドのウィル・ミュージックが移民とともにアメリカに入ってきて、アパラチア山脈のあたりでマウンテン・ミュージックとして18世紀に盛り上がっていた。1920年代ぐらいまでマウンテン・ミュージックとして盛り上がっていたが、徐々にその音楽がヒルビリーとなり形作られるようになった。ただヒルビリーという言葉が差別的なニュアンスを含んでいたため、アメリカの業界紙ビルボードがチャートを作るにあたってカントリー・ミュージックと呼ぶようになった。それが1930年代。
その頃になるとカーター・ファミリーといったグループやジミー・ロジャースといった鉄道員たちによるシンギング・ブレークマン・シンガーが出てくる。ジミー・ロジャースはジャズやブルースやハワイアンのミュージシャンと交流し、そこでハワイアンのスチール・ギターとカントリー・ミュージックが出合うことになった。カントリーは決して保守的な音楽ではなく、ものすごく貪欲に他の音楽と折衷して出来上がった音楽といえる。
ただもともとのアパラチアン・ミュージックからだんだん変わってきたので、それに対して異を唱える人たちも出てきた。カントリー・ミュージックは歌う内容も内省的であったり、自虐的であったり、大不況の時代を憂うものであったり、人間の内面の闇の部分まで入ってゆくものが多かった。でも、もともとはハッピーで、音楽的にももっとピュアなものだったんじゃないか、そう言い出したビル・モンローが1940年代辺りに、もう一度原点に戻ろうとアパラチアン・ミュージック的なニュアンスを強めたのがブルーグラスという音楽。
また、より大衆向けにストリングスを入れたりコーラスを入れたりして、歌の内容も甘いラヴ・バラードになってきたりしたので、こんなのでいいのかとカントリーのもともとあったワイルドさを忘れてるんじゃないか、と言い出した人たちがバック・オーエンスやマール・ハガード。彼らの音楽はホンキートンク・カントリーと呼ばれて、1960年代に話題になった。ある種、'70年代のパンクと同じムーブメントといえる。それに触発されたのがフライング・ブリトー・ブラザーズのグラム・パーソンズ。カントリー・ロックといえばグラム・パーソンズがひとつの形を作ったと言われている。

・カントリーロック
グラム・パーソンズはローリング・ストーンズがハンク・スノウの「I'm Movig On」という曲をライヴで演奏したレコードを聴いて、ロックンロール・コンボでカントリーをやるとこんなにかっこいいのかと気が付いた。あるいはビートルズがアルバム『For Sale』でカントリーっぽいことやロカビリーをやっているのを聴いて、これはいいんじゃないかと思ったのがカントリーロックの最初だったという。これと同じことがカナダ人のメンバーが多いザ・バンドがアメリカの南部の音楽のよさを思い起こさせてくれたりと、こういうことは常に起こる。
バーズは最初フォークロックで出てきた。ロックンロールはハイスクールをベースにして盛り上がった文化だったが'50年代の終わりに一旦下火になった。'60年代に入るとカレッジでモダンフォーク・リヴィヴァルといったムーブメントが起こる。フォークとロックが結びついたのがフォークロックだが、フォークロックは先に行くためのひとつの方法論として出来上がった折衷ジャンルといえる。カントリーロックはもう一度立ち止まって自分たちの足元を見つめようと折衷した音楽。サイケデリックロック、ブルースロック、ラーガロックと'60年代の終りにはいろいろんな音楽が出てきたが、そうした浮ついたものではなく立ち止まって足元を見つめ直した音楽だといえる。

・You Ain't Goin' Nowhere
グラム・パースンズが参加したバーズの1968年のアルバム『Sweetheart Of The Rodeo』(ロデオの恋人)。ナッシュビルで一流カントリー・ミュージシャンとレコーディングした作品で、当時ははあまり評価されなかったが'70年代に入って高く評価されるようになった。バーズのカントリーロック作品「You Ain't Goin' Nowhere」。この曲はディランのライティング。
ディランは1966年にオートバイ事故で怪我をしてしばらくウッドストックで隠遁生活を送っていた。そのときにバンドと一緒にアメリカの古い音楽をセッションする、いわゆる「ベースメント・テープ・セッション」があって、そのときに古い音楽に混じって新曲もセッションしていた。それがアセテート盤になって音楽出版社がいろんなところに配った。だからディランが「You Ain't Goin' Nowhere」をレコーディングする前に、このバーズのヴァージョンがあった。
ディランはバイク事故の前までフォークロックで激烈な疾走を繰り広げていた。「裏切り者」呼ばわりまでされて相当なストレスを抱えていた。しかし事故により一旦小休止してアメリカの音楽を振り返ることになった。バンドと試行錯誤する中で生まれたのが「You Ain't Goin' Nowhere」という曲。
アルバム『John Wesley Harding』ではナッシュビルに行ってカントリーを意識的にレコーディングするという動きがあり、グラム・パーソンズだけじゃなくてディランも足元を見つめ直そうとしていた。エルヴィス・プレスリーも1968年にメンフィスに戻って自分の原点である音楽のR&Bとカントリーを取り戻そうとしていたし、サンフランシスコからはCCR(クリアデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル)が南部の音楽を取り戻そうとしていた。いろんな人たちが昔のアメリカが持っていた大事な宝みたいなものをもう一度認識しようとしていた。

・3PICKS!
「Motoharu Radio Show」では毎月番組推薦盤3枚のCDをピックアップしている。今月10月の「3PICKS!」はデイブ・マシューズ・バンド『Away From The World』、エイミー・マン『Charmer』、そしてドナルド・フェイゲン『Sunken Condos』。どのレコードも心に響くよいソングライティングと素晴らしいサウンドがあると元春。この中から今週はエイミー・マン『Charmer』。

・エイミー・マン
米国ヴァージニア州出身のソングライター、現在52歳。'80年代にティル・チューズディというバンドでベースとヴォーカルを担当していた。その後ソロとして現在まで活動を続けている。ソングライターは子どもの頃に聴いた音楽がその後のクリエイティブ・ライティングに影響する。エイミー・マンの場合は父親がピーター、ポール&マリー、叔母さんがグレン・キャンベル、お兄さんはビートルズ、そしてベイビーシッターがニール・ヤングを好んでいたということ。かなりしっかりとしたポップ音楽環境に恵まれていたといっていい。自分で曲を書きはじめたのが14歳のとき。二十歳の頃にはソングライターとして自立していた。エイミー・マンの音楽はソングライティングが素晴らしい。ある映画監督が彼女の音楽を聴いてとてもインスパイアされて映画を作った。1999年公開、ポール・トーマス・アンダーソン監督の映画『マグノリア』。トム・クルーズがいかがわしい新興宗教の詐欺師を演じているというちょっとしたカルト・ムービー。エイミー・マンはこの映画のサウンドトラックに曲を提供してグラミー賞にノミネートされた。
「エイミー・マンの音楽、僕は好きですね。シニカルで知的なストーリーテリング。とても個性的なソングライターだと思います」と元春。
最近のニューヨーク・タイムスでは「この世代で最も優れたソングライターのひとり」と評している。エイミー・マンの新しいレコード『Charmer』から「Charmer」と「Soon Enough」の2曲。

・Long Black Veil
ザ・バンドは5人組で4人がカナダ出身、ひとりだけ南部出身のメンバーがいる。日本でもそうだけど、自分の国のことはよくわかってないことが多い。あえて意識することもないわけだから。でも異邦人の目から見ると「こんなにいいものがあるのに、なんでお前たちわからないの」という気づきがある。ザ・バンドは正にそこをついてきたバンド。カナダ人たちが、アメリカの南部にカントリーとかブルースとかゴスペルとか素晴らしい音楽があるのに、なんでサイケデリックロックとかやってるんだよ、これをもう一回ちゃんと見直したほうがいいんじゃないのという動きを1968年にした。『Music From Big Pink』というアルバム、ビッグ・ピンクというのはディランとベースメント・テープを録っていたウッドストックにある家の名前。ウッドストックは世の中の時代のスピード感みたいなものごとから切り離された空気感がある街。その中で思う存分、アメリカの南部に眠っていたたくさんの音楽性みたいなものをザ・バンドは自分たちで蘇らせた。
元春によるとウッドストックはマンハッタンからクルマで北上して大体3時間半ぐらい。東京からだと長野の先に行くような感じで、都会の喧騒から離れた、ちょっと肌寒い別荘地のような感じ。コミュニティとしてはアーティスト・コミュニティ、いろいろなクラフトワーカーとかミュージシャンとか、いろんなアーティストたちが集まってるアーティスト・ヴィレッジ的な雰囲気で、ひじょうにボヘミアン的なムードがあるそうだ。
1968年の『Music From Big Pink』というアルバムから「Long Black Veil」はカントリーのカヴァー・ソング。レフティ・フリーゼルというカントリー・シンガーが'50年代にヒットさせた曲。この曲はある殺人事件が起こって、犯人にされた男は親友の奥さんと不倫をしていたので、親友のためにもその奥さんのためにも不倫のことは言えなくて、結局それを言い出せなくて殺人の冤罪を受け入れて死刑になる。その彼の墓に向かってときどき黒い長いヴェールを身にまとった女性がやってくる。そのことを淡々と歌った曲。いいか悪いかは別にしてそれを淡々と歌うというのがカントリー・ミュージックの姿勢。
『Music From Big Pink』は'60年代の傑作。プロデューサーはジョン・サイモン。元春はヘッドフォンで聴いていて独特のウッドストックの空気感を感じたそうだ。それは'90年代に同じウッドストックでレコーディングしたときに感じた空気感とほとんどかわらないという。
マーダー・バラードという殺人をテーマにしたカントリーのジャンルがある。カントリーはひじょうにハッピーなものである反面で、人間の心の奥にある闇みたいなものにアクセスしている音楽でもある。日本にいるとその部分があまり伝わってこない。ジョニー・キャッシュはフォルサム刑務所を舞台にした犯罪者の歌を歌っている。

・Don't Know Where I'm Going
マンハッタンで活躍していたモンゴメリーズというグループのデヴィッド・ガーシェン、ジョン・ガーシェンというふたりの兄弟が、ザ・バンドに憧れてウッドストックへ行き、そこで結成したバンドがボーダーライン。当時、ウッドストックにはヴァン・モリソンやボビー・チャールズがやって来ていて、ウッドストックがホットなスポットになっていた。ボーダーラインはザ・バンドのリチャード・マニュエルとガース・ハドソンをゲストに迎えて1973年にアルバム『Sweet Dreams and Quiet Desires』をリリース。このアルバムのCD化の動きに健太さんがレコード会社と話し合い2000年に日本でCD化が実現した。アルバム『Sweet Dreams and Quiet Desires』から「Don't Know Where I'm Going」。
'90年代の終りに健太さんは「カントリーロックの逆襲」と銘打ってコンピレーションの監修を行なっていた。'90年代の半ばぐらいから新しい世代によるオルタナティブ・カントリーの動きがあり、それと'70年代のカントリーロックをシンクロさせてシーンに提示しようという気持ちがあったのだと健太さん。元春もカントリーロックのコンピレーションは「すごくうれしい企画」だったそうだ。その後、「カントリーロックの逆襲」のイベントに元春は出演してディランのカヴァー「I'll Be Your Baby Tonight」を歌った。

・You Better Think Twice
西海岸ではバッファロー・スプリングフィールドを起点にしているバンドがたくさんいた。バッファロー・スプリングフィールドのリッチー・フィーレーはギタリストのジム・メッシーナとポコというグループを結成してデビュー。西海岸の陽気なカントリーロックの代表だった。バッファロー・スプリングフィールドからCSN&Y、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングが生まれたが若干内省的だった。西海岸のビーチボーイズからバーズを経てアソシエイションやママス&パパスへと連なるハーモニー・サウンドが特徴。ポコの1970年に出たセカンド・アルバム『POCO』に収録された「You Better Think Twice」はジム・メッシーナが作った曲。ごきげんなカントリーロックのギターを聴かせる。ジム・メッシーナはテレキャスターを使用しているがカントリーロックのミュージシャンはテレキャスターをよく使っている。源流を遡るとジェームス・バートンになるようだ。ジェームス・バートンはギターにエフェクターを使わないという。その話を健太さんが訊いたところ、「エルヴィスだって声はひとつだろ。どんな曲だって彼はあの声で歌う。俺はどんな曲だってこの音で弾く」と言ったそうだ。

・Saturday Night
西海岸のカントリーロック、ハーモニーポップの頂点はイーグルス。イーグルスで完成して、イーグルスが内部崩壊して終わる。歯切れの悪い終焉となってしまうが、これが'70年代中盤ぐらいまでの動きとしてカントリーロックが、でもそれまでは時代の最先端を行くポップミュージックとして'70年代前半は君臨した。イーグルスは'70年代半ばのサード・アルバム『On The Border』から少しサウンドが大きくなる。それまでの2枚のアルバムまではロサンゼルスのローカルバンドで、この時期がカントリーロック・バンドとしてイーグルスのいいところをとらえている。1973年のセカンド・アルバム名盤『Desperado』からメンバー4人で作った「Saturday Night」。

・番組ウェブサイト
「番組ではウェブサイトを用意しています。是非ご覧になって曲のリクエスト、番組へのメッセージを送ってください。待ってます」と元春。
http://www.moto.co.jp/MRS/

・次回放送
来週も引き続いて萩原健太さんを迎えてカントリーロックの特集 Part.2。
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