手塚治虫と中之島

2008年11月07日 | 大阪
大阪商工会議所が大阪発見まちあるきツアーの一環として「手塚治虫と大阪」マップを作成したそうです。
http://www2.ocn.ne.jp/~norimi/tezukamap.pdf

10月には実際にツアーが行われたようなんですが、そうしたイベントがあったことすら知りませんでした。来年の「水都大阪2009」でも開催が検討されているとか。

手塚治虫が大阪大学医学部の学生だったのは有名な話ですよね。大阪大学医学部、今はもう移転しましたけれど、手塚治虫が通っていた頃は中之島にありました。今回の記事はその大阪大学医学部跡地の話です。

大阪大学医学部の跡地、今は大阪市立近代美術館建設予定地となっています。国立国際美術館の北側になります。大阪市立近代美術館建設予定地にはイギリスの彫刻家リン・チャドウィックのブロンズ像「ジュビリーIV」が設置されております。



■リン・チャドウィックのブロンズ像「ジュビリーIV」(1985年)



ブロンズ像の向こうの高層ビルは小室哲哉が出頭した大阪地検ですね。

この敷地の中になぜか円環型日時計があったりします。



後ろは大阪市立科学館ですね。

実はこの敷地には広島藩蔵屋敷の船入り遺構があります。



江戸時代、堂島には米の取引所があって全国各藩の蔵屋敷が置かれていたそうです。幕末には135藩の蔵屋敷があったといいます。堂島川のほとりにあるこの場所には安芸広島藩42万石の蔵屋敷があったそうです。



堂島川から屋敷に直接船で入れるようになっていたそうです。その石垣と階段が発掘されて、調査のため大阪市立近代美術館の建設計画が中断してしまったそうです。その後、市の財政難のため建設計画が見直されて再開のメドが立たなくなってしまったといいます。

西隣の大阪大学中之島センターにも蔵屋敷の一部が保存されております。


コメント (4)
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