REBOOT 2007 FEB.

2007年02月08日 | 佐野元春

30~40歳代男性のための"こだわり再起動"マガジン「REBOOT」の2月号に佐野元春の記事が掲載されている(画像)。"reboot"はコンピュータ用語らしい。意味は「再起動」。

「REBOOT」という雑誌はソニー・マガジンズから出ているのだが、僕は今回はじめて手にした。中を見ると創刊準備号と書いてあった。道理で知らなかったわけだ。編集長は今年40歳になるという。編集後記には「小誌は、30歳~40歳代の男性に向けてのバイヤーズ・ガイド」と書いてあった。僕はターゲット層にいた。

佐野元春のインタビューは、同ソニー・マガジンズの「デジモノ×ステーション」で以前掲載されたものを流用しているみたいだが、再構成してカットされた部分なども含めて公開している。

「SOMEDAY」について佐野元春は、日本の伝承歌みたいなものとした上で、「僕が死んで80年後くらいに教科書の片隅に載って"作者アンノウン"であってもいいかなって思っている。世の中、泡のように生まれては消えていく音楽がたくさんあるなかで、心の隅っこのほうにこの曲がひっかかってくれているのであれば、僕はソングライター冥利に尽きる」と話している。その部分を読んで心が揺れた。

アルバム『The Barn』のライヴ・ツアーを見た時のこと。ライヴの最中に涙がこぼれた。一緒に「SOMEDAY」を歌った時、なぜだかわからないが、ずっと昔、佐野元春を熱心に聴いていた自分自身のことを思い出し、それで胸が熱くなった。気づいたら頬をぬらしていた。そんなことははじめてだった。

2005年の「THE SUN TOUR」神戸国際会館こくさいホールでのこと。僕は佐野元春のパフォーマンスを冷静に観察していた。佐野元春のヴォーカルは不安定であった。披露される楽曲も僕の琴線に触れるものではなかった。しかし、アンコールの最後の曲として「SOMEDAY」が演奏されようとした時、僕は何もかも忘れてステージに見入った。このツアーでは当初「SOMEDAY」は歌われていなかったのだ。

佐野元春は歌う前に「この曲を書いたのは僕が20代前半の頃だった。その時は20代のいつかきっとという思いを込めた。そのいつかきっとという思いはどの世代にもあるんじゃないかと思う。30代には30代の、40代には40代のいつかきっとという思いがあるはずだ。そして50代にもそれはあるんじゃないのかなって、最近僕は思っている」と話した。佐野元春のその言葉は僕を打った。そして驚いたのは、佐野元春は声を振り絞るようにして歌っていたのだが、泣いているように見えたのだ。顔が真っ赤になっていた。それを見て僕は胸が熱くなった。

「THE SUN TOUR」のファイナルとなったNHKホール。東京で佐野元春が「SOMEDAY」を歌うのは本当に久し振りだったはずだ。もしかしたらスキップして、「SOMEDAY」を歌わないまま終るかもしれないということも考えられた。しかし佐野元春は歌った。「時間や場所を越えて集まったんだ。一緒に歌おう」、そんな言葉があった。それは感動的な夜で、「SOMEDAY」だった。ほとばしる感情を抑えきれず、佐野元春は涙をこぼした。僕はその姿を見て熱い涙を流した。

先日の「COUNTDOWN JAPAN 06/07」の帰り道のことだ。僕の隣で見知らぬ誰かがその友人と話しているのを立ち聞きした。「佐野元春は見た?」と尋ねていた。こんな時(フェス)でなければ佐野元春なんて見ないだろ、とそんな話だった。たぶん、普通はそうなんだろうな、と僕は思った。でも、誰かがそんなふうにして見て、そこで「SOMEDAY」を聴いた時、あの時の僕みたいに何か感じるものがあったなら、何千人の中の何人かでもいいから、もし居たとしたら、そんなにうれしいことはない。

最近、気が付いたことだが、僕は佐野元春のパフォーマンスを楽しんでいる。もう20年以上も見てきているので、もっとクールに見ていてもいいはずなのに。ビートルズの「Come Together」1曲しか歌わなかった「ジョン・レノン・スーパー・ライヴ 2006」にしても、「COWNTDOWN JAPAN 06/07」にしても楽しんだ。いつからこんな風に楽しめるようになったのだろう。それで思い当たったのが、「THE SUN TOUR」神戸国際会館こくさいホールの公演だった。あの夜を境にして僕は何かを受け入れたのだ。言葉では上手く説明できないが今はそう思っている。「再起動」した夜だったのかもしれない。
コメント (2)
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