昨今、ブルースマンの死去やら病気やらのニュースが多い。
いわゆる第一世代と呼ばれているブルースマンたちはみな高齢になり、こういうニュースと向き合わざるをえなくなってきたとはいえ、やはり寂しい。
もっと前から彼らの演奏を聞いておくんだった、とそのたびに悔やまれる。
2月に亡くなったマジック・スリムもそのひとりだ。まだ75歳だった。
彼の演奏を直に最後に聴いたのは、2011年のシカゴブルースフェスティバルだった。
その後も精力的にクラブに出演していたので、まだまだ聴く機会はあるだろうと高をくくっていたら突然の死。
ああ・・。
マジック・スリムとは、2011年の「Japan Blues Festival」のオープニングに流すビデオメッセージを撮影するために一度お会いしたことがある。
うらさびれたモーテルの一室でのインタビューは15分くらいの短いものだったけれど、丁寧にメッセ―ジを語ってくれて「また日本へも行きたい、呼んでくれ」と言っていた。
温かい人だった。
その彼に捧げるトリビュートコンサートが、3月28日の夜シカゴのとあるライブハウスで行われ、シカゴのブルースマンたち(ほとんどオールスターと言ってもいい)が、次々と会場に駆け付けてのべ6時間にも及ぶJamを繰り広げた。
チケットの売り上げはみな、故人の家族に寄付されるという。
先日のエディ・キャンベルのチャリティライブもそうだが、仲間が困ったときのブルースマンたちの結束はとても固い。
はたからは華やかに見える世界だが、ごく一部の人たちをのぞいてはほとんどが保険も加入できていない貧しいブルースマン。いざ病気になったり事故に合って怪我をしたときの医療費はその支払い能力を軽く超えてしまうのだ。
だから仲間になにかあるとこうやってチャリティーで支え合うことが当たり前のように続いてきたのだろう。
この心遣いはなにも仲間に対してだけではない。
2011年の東日本大震災の直後にも、シカゴのブルースマンたちが日本のためにとチャリティーライブを開いてくれた。
そのとき、ブルースマンたちの人間としての素朴で謙虚な温かさをつくづく感じたものだ。
午後7時、会場は超満員のお客さんが入っていた。まるで3日間のブルースフェスを6時間でやり終えるような豪華メンバーなのだから、シカゴ中のブルースファンがやってくるのも無理はない。
出演者もこれほどの観客の前で演奏することもそうそうないせいか、いつもよりハイテンション気味だ。
顔見知りのミュージシャンたちが次々に声をかけてくれたり、何かを食べようにも場所のない私にお客さんが少しの間席を譲ってくれたり、やっぱり出演者も見に来ている人たちもほっこりと温かかった。
2番手で登場した女好きじいさん、いや、リンゼィ・アレキサンダー。70歳。
最後まで会場をうろうろしてはちょっかい出していた(笑)
エディ“ザ・チーフ”クリアウォーター(78歳)と、Shoji Naito(普段はベース担当だが、この夜はハーモニカ)
メルヴィン・スミスはこの晩ほぼ出ずっぱり。私に気づいて笑顔でポーズ
Grana Louiseのど迫力
やっぱりこの人たちを聴くとホッとする。大好きなジョン・プライマー(68歳)とビリー・ボーイ・アーノルド(77歳)
ドラムはMagic Slimのバンドメンバーとして長年連れ添ったBJ(ブライアン・ジョーンズ)
ギターはリコ・マクファーランド。こういう組み合わせを見られるのも妙。
ウェイン・ベイカー・ブルックス、ロニー・ベイカー・ブルックス兄弟。
この日のウェインはよかった!これまでお話したことはなかったけれど、近くにいたので「今日は最高だったよ」と声をかけたら喜んでいた。
先日、シカゴ観光協会の仕事で日本で演奏をしてきたばかりだったのでその話題をふると、
「日本の人たちはブルースをとても愛していて、ミュージシャンをリスペクトしてくれるから本当に大好きなんだ」とウェイン。
今年にはまたツアーを予定しているそう。
御大、オーティス・クレイ(71歳)と、J.W.ウィリアムスというこれまた不思議な顔合わせ。
オーティスに、「今度はいつ日本に行くんですか?」と聞いたら、新しいCDが出たら行くよ、とのこと。
日本にもこの人の根強いファンが多いのだ。
大好きなドラマー、ウィリー・ヘイズ。
この晩も奥さんのデビーががっちりと彼をガードサポートしていた。
なぜか彼女は私にはとってもよくしてくれて、この晩もミュージシャン関係者だけに立ち入りが許されるサロン(バルコニー)に案内していろんな人たちを紹介してくれた。
そんでもって、その中のひとり、御年84歳のジミー・ジョンソン。
この晩で一番心を動かされたパフォーマンスだった。この声の張りときたら!
長生きしてください。
御大数珠つなぎで、ジミー・バーンズ(70歳)登場。
“パチパチパンチ男”(と私だけが呼んでいる)カール・ウェザースビーとビリー・ブランチ
そしてルリー・ベル、マシュー・スコラーの登場。
彼らが店にやってきたのは11時ごろ。いったい何時からなの?と聞くと「11時15分って聞いてるんだけど」。
結局始まったのは12時すぎだった・・・。
このあとベースのメルヴィンは「はー疲れたよ~」といいながら帰って行った。
オオトリで登場したのは、デイーヴァ、ゾーラ・ヤング。待ちわびたのか余裕のど迫力。
この頃(1時ごろ)にはお客さんもめっきり減って(というか関係者だけ?)ちょっとさびしかった。
この“ブルース・マラソン”が終わった後は、見ている方ももうぐったりだった。
外に出たらすっかり人気も少なくなっていて、少しの距離とはいえ車まで歩くのがちょっと怖かったので、ちょうど店から出てきたウィリー・ヘイズ夫妻に一緒に車まで歩いてもらった。
私が車に入るまでちゃんと見ていてくれた。いつもやさしいふたりなのだった。
いわゆる第一世代と呼ばれているブルースマンたちはみな高齢になり、こういうニュースと向き合わざるをえなくなってきたとはいえ、やはり寂しい。
もっと前から彼らの演奏を聞いておくんだった、とそのたびに悔やまれる。
2月に亡くなったマジック・スリムもそのひとりだ。まだ75歳だった。
彼の演奏を直に最後に聴いたのは、2011年のシカゴブルースフェスティバルだった。
その後も精力的にクラブに出演していたので、まだまだ聴く機会はあるだろうと高をくくっていたら突然の死。
ああ・・。
マジック・スリムとは、2011年の「Japan Blues Festival」のオープニングに流すビデオメッセージを撮影するために一度お会いしたことがある。
うらさびれたモーテルの一室でのインタビューは15分くらいの短いものだったけれど、丁寧にメッセ―ジを語ってくれて「また日本へも行きたい、呼んでくれ」と言っていた。
温かい人だった。
その彼に捧げるトリビュートコンサートが、3月28日の夜シカゴのとあるライブハウスで行われ、シカゴのブルースマンたち(ほとんどオールスターと言ってもいい)が、次々と会場に駆け付けてのべ6時間にも及ぶJamを繰り広げた。
チケットの売り上げはみな、故人の家族に寄付されるという。
先日のエディ・キャンベルのチャリティライブもそうだが、仲間が困ったときのブルースマンたちの結束はとても固い。
はたからは華やかに見える世界だが、ごく一部の人たちをのぞいてはほとんどが保険も加入できていない貧しいブルースマン。いざ病気になったり事故に合って怪我をしたときの医療費はその支払い能力を軽く超えてしまうのだ。
だから仲間になにかあるとこうやってチャリティーで支え合うことが当たり前のように続いてきたのだろう。
この心遣いはなにも仲間に対してだけではない。
2011年の東日本大震災の直後にも、シカゴのブルースマンたちが日本のためにとチャリティーライブを開いてくれた。
そのとき、ブルースマンたちの人間としての素朴で謙虚な温かさをつくづく感じたものだ。
午後7時、会場は超満員のお客さんが入っていた。まるで3日間のブルースフェスを6時間でやり終えるような豪華メンバーなのだから、シカゴ中のブルースファンがやってくるのも無理はない。
出演者もこれほどの観客の前で演奏することもそうそうないせいか、いつもよりハイテンション気味だ。
顔見知りのミュージシャンたちが次々に声をかけてくれたり、何かを食べようにも場所のない私にお客さんが少しの間席を譲ってくれたり、やっぱり出演者も見に来ている人たちもほっこりと温かかった。
2番手で登場した
最後まで会場をうろうろしてはちょっかい出していた(笑)
エディ“ザ・チーフ”クリアウォーター(78歳)と、Shoji Naito(普段はベース担当だが、この夜はハーモニカ)
メルヴィン・スミスはこの晩ほぼ出ずっぱり。私に気づいて笑顔でポーズ
Grana Louiseのど迫力
やっぱりこの人たちを聴くとホッとする。大好きなジョン・プライマー(68歳)とビリー・ボーイ・アーノルド(77歳)
ドラムはMagic Slimのバンドメンバーとして長年連れ添ったBJ(ブライアン・ジョーンズ)
ギターはリコ・マクファーランド。こういう組み合わせを見られるのも妙。
ウェイン・ベイカー・ブルックス、ロニー・ベイカー・ブルックス兄弟。
この日のウェインはよかった!これまでお話したことはなかったけれど、近くにいたので「今日は最高だったよ」と声をかけたら喜んでいた。
先日、シカゴ観光協会の仕事で日本で演奏をしてきたばかりだったのでその話題をふると、
「日本の人たちはブルースをとても愛していて、ミュージシャンをリスペクトしてくれるから本当に大好きなんだ」とウェイン。
今年にはまたツアーを予定しているそう。
御大、オーティス・クレイ(71歳)と、J.W.ウィリアムスというこれまた不思議な顔合わせ。
オーティスに、「今度はいつ日本に行くんですか?」と聞いたら、新しいCDが出たら行くよ、とのこと。
日本にもこの人の根強いファンが多いのだ。
大好きなドラマー、ウィリー・ヘイズ。
この晩も奥さんのデビーががっちりと彼を
なぜか彼女は私にはとってもよくしてくれて、この晩もミュージシャン関係者だけに立ち入りが許されるサロン(バルコニー)に案内していろんな人たちを紹介してくれた。
そんでもって、その中のひとり、御年84歳のジミー・ジョンソン。
この晩で一番心を動かされたパフォーマンスだった。この声の張りときたら!
長生きしてください。
御大数珠つなぎで、ジミー・バーンズ(70歳)登場。
“パチパチパンチ男”(と私だけが呼んでいる)カール・ウェザースビーとビリー・ブランチ
そしてルリー・ベル、マシュー・スコラーの登場。
彼らが店にやってきたのは11時ごろ。いったい何時からなの?と聞くと「11時15分って聞いてるんだけど」。
結局始まったのは12時すぎだった・・・。
このあとベースのメルヴィンは「はー疲れたよ~」といいながら帰って行った。
オオトリで登場したのは、デイーヴァ、ゾーラ・ヤング。待ちわびたのか余裕のど迫力。
この頃(1時ごろ)にはお客さんもめっきり減って(というか関係者だけ?)ちょっとさびしかった。
この“ブルース・マラソン”が終わった後は、見ている方ももうぐったりだった。
外に出たらすっかり人気も少なくなっていて、少しの距離とはいえ車まで歩くのがちょっと怖かったので、ちょうど店から出てきたウィリー・ヘイズ夫妻に一緒に車まで歩いてもらった。
私が車に入るまでちゃんと見ていてくれた。いつもやさしいふたりなのだった。