日本の良き昭和が、またひとつ去っていった。
戦後の復興期を音楽で支え、「ザ・ピーナッツ」の『恋のバカンス』などで一世を風靡した作曲家、宮川泰氏。
私たちの年代にとってはむしろ「宇宙戦艦ヤマトの」といったほうがいいかもしれない。ストーリーもさることながら、“ヤマト”は全編を通して流れるあの壮大にして雄雄しく、時には切なく心をえぐられるようなメロディーが見る者すべてを熱くした。
小学生から中学~高校とヤマト熱は覚めやらず、我が家には「宇宙戦艦ヤマト」「さらば宇宙戦艦ヤマト」「ヤマトよ永遠に」「宇宙戦艦ヤマト・完結編」「交響組曲・宇宙戦艦ヤマト」のLPをはじめ、ジュリーのうたう「ヤマトより愛をこめて」(これは宮川さんではない)などが家宝のように並んでいる。何度聴きこんだか計り知れない。
当時は楽譜などなかったので、この頃の私はこれらをピアノで“耳完コピ”することに夢中だった。
私の音楽の基はすべてヤマトだった。
数年前のある日、知り合いに誘われて、銀座のジャズハウスに宮川軍団のライブを見に行った。
軽妙なトークと共に繰り広げられる往年の大ヒット歌謡曲ナンバー。途中から曲はヤマトメドレーへと変わり、私は初めて目の前で聞く“生ヤマト”にただほろほろと涙したのだった。
ライブが終わってからどうしても「私の音楽のルーツはヤマトでした」と伝えたくて、楽屋に宮川さんを訪ねた。
「そう、うれしいねぇ。」
その後、何度か行きつけの銀座のBarで宮川さんををお見かけする機会があった。興に乗った氏がピアノにすわり「真っ赤なスカーフ」を演奏してくれ、私がその伴奏に合わせて歌うという暴挙も、今ではなつかしい自慢話。
また、ご自分で作曲したものの細部までは思い出せないとまごついていた宮川さんに、「先生、ここはこうです」と僭越ながら“教えて”さしあげたこともあった。
とにかく飾らない人だった。音楽と、心から人を楽しませることをこよなく愛していた。70歳を超えてなお、若いおねぇちゃんが大好きだった。
そんな氏の、あまりにも突然の旅立ち。
『寺内貫太郎一家』の久世さんといい、宮川さんといい、「僕らの世代のある意味、原点である昭和がどんどん遠ざかっていきますね」と、友人からメールがきた。まさにそのとおりだ。
今日はイスカンダルに旅立った宮川艦長に哀悼の意を表して、静かに飲もう。
「違う!・・断じて違う!!
宇宙は母なのだ、そこで生まれた生命はすべて平等で
なければならない・・それが宇宙の真理であり、宇宙の愛だ!
・・お前はまちがっている!それでは・・宇宙の自由と平和を
消してしまう者なのだ・・俺たちは戦う!・・断固として戦う!」
・・古代 進
テレビ番組のテーマ曲、サザンのバラードの編曲等々
私の全然知らなかった活動についても紹介され、
あらためて偉大な才能だったんだなぁと感じています。
宮川さんの「蛍の光」が見られないのかと思うとさびしいなぁ。本人は「始めの4小説だけ全国の茶の間に映る」って冗談言ってましたけど。